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もしもし、いつも優しい私の孫?
新婚旅行に行けてない私と夫のために、母がお膳立てをして近場の温泉に一泊旅行に行かせてくれた。
その日は留学から一時帰国している弟が祖母宅に泊まってくれた。
旅行に出かける朝、私は分包をして弟に置き手紙を書き、祖母とドリップコーヒーを分けて飲んだ。
同居を始めた頃は祖母もまだ認知症状が軽くて、私もちょくちょく外泊できていたが
最近は全くしていなかったので久しぶりに一晩以上離れることになる。
「電話するからね」
「ありがとう、お土産は名産品でお願いね」
「わかった」
旅行はとても楽しかった。豪華な料理と細やかなサービスの行き届いた旅館と、晩ご飯を食べ終わっても隣にいる夫。非日常だった。夫と一緒に寝ることが私達にとっては日常ではないから。
それでも、晩ご飯後に祖母に一報入れとくかと電話をかけたら、祖母の開口一番が
「もしもし、いつも優しい私の孫?」
だった。
「そうだよあなたの優しい孫だよ。変わりない?」
「おかげさまで、変わりないよ、楽しんでる?」
「おかげさまで楽しんでるよ」
祖母は人当たりが良くて暴言の語彙が全くない人だから
すっと柔らかい言葉が口から出てくる。
私は子供の頃からずっと、祖母に肯定されて生きてきた。
そんなことを、少し距離が離れたくらいで痛感する。
認知症になった祖母が、私をはじめ家族や友達やご近所の人に大事にされてるのは、彼女がずっと「良い人」だったからだ。
きっと私はこの介護生活が終わったら
毎朝祖母に「ねえねえ孫ちゃん、私死にたい…」と起こされたことも、仕事の帰りが遅いことに嫌味を言われたことも、イライラをあたられた記憶も少しずつ薄れて
結局私が子供だった頃の祖母の、美人で気高くて優しくて聡明なイメージを持ったまま年をとるんだろうと思う。