小話
私は、幼い頃から過敏な子どもだった。
気配を感じて振り返ると誰も居なかったり、
人が立てるはずもない場所に人影を見たり、
その度に言いようの無い不安に駆られたが、いつも気のせいだと自分に言い聞かせていた。
ある日、おばあちゃんの家に行った時。
おばあちゃんの所へは私の家から車で20分ほどの場所にあり、幼い頃から何度も遊びに行っていた。
当時小学生だった私は、おもちゃで遊ぶのにも、外を駆け回るのにも飽きて、玄関脇の部屋で寝転がっていた。
その部屋には大きなベッドがあって、おばあちゃん家にお泊りする時にたまに使われるのだけど、普段は布団で寝ている私には物珍しくてお気に入りの場所だ。
寝返りをうつたびに跳ねる感覚が面白くて、ごろごろしていたらいつの間にか眠ってしまったのだと思う。
ふと気づくと周りが薄暗くなっていた。
日が陰ったのだろうか、夜でもないのにやけに暗くて、うっかり寝過ごしてしまっただろうかと起きようとした。
けれど、何故だか動けないのだ。
目はきょろきょろと周りを見られる。しかしだらりと伸ばした腕や足は微動だにしない。
どうしてだろう? 痺れてしまったのか?
不安にかられた私は、隣の部屋に誰かが居るはずと思い、人を呼ぼうとした。
そこで、声も出ないことに気が付いた。
最初は喉が渇いているだけだと思った。けれど何度繰り返しても出ないのだ。
声を張り上げるつもりで力を入れても、わずかも音が出ない。
子どもの私は混乱した。自分がどういう状況なのかも分からずパニックになった。
身体を動かすこと、声を出すことを試みながら、誰か来てくれと願って入口の方を見ると、視線の隅に何かいた。
“いた”と感じたのは、目が合ったから。
私は驚いて目を閉じた。
だって“それ”が、おかしいと分かったから。
私が横になっているベッドは、和室に幅を利かせて置いてあり、足元の方にふすまの入口がある。
ベッドが大きい分、壁が近くて出入りは少々狭いのだ。
”それ”は足元の方に居た。
しゃがみこんでいるのか、目のあたりしか見えなかった。
けれどおかしいのだ。ベッドの高さは30cmほどで、ふすまも閉じているし、壁も近い。
身体の小さな兄弟でも、その高さまでしゃがむのは難しいからだ。
そして何よりも、その家に居る女の子は、私だけのはずだ。
身体は動かないけれど頭は鮮明で、おばあちゃんの知り合いの子どもか、ご近所の子どもが遊びに来たのだろうか。
私の見間違いで、弟が驚かそうとしているのかもしれない。
そんな事を考えていると、ふと足元の方でベッドが沈む感覚があった。
反射的に目を開けると、見たこともない女の子がベッドに乗り上がってきていた。
誰なの? お客さん? 何をしているの? そう問いかけたくても声が出ない。
何より女の子の異質さに見ていられずに再び目を閉じた。
黒髪が長くて、白いワンピースを着て、普通の女の子の様だけれど、どす黒いモヤをまとって、爛々と瞳を見開いて私を凝視する姿は、恐怖でしかなかった。
これは見てはいけないものだ。気付いてないフリをして、過ぎ去るのを待とう。
それは幼いながらに知っていた、人間以外のモノへの対処法だ。
目をギュッと閉じて、息をひそめて、気付かれない様に身体を動かそうと努力する。
指先に力を入れて、少しでも動けば逃げ出せるかもしれない。
「―――っ!」声にならない音で息をのんだ。
右腕に何かが触れる感覚があったのだ。見てはいけない、そう思うのに我慢が出来なくて、そちらを見ると、私の腕に抱きつく女の子と目が合った。
また私は、ギュッと目をつむった。
上がってきている。私に触れている。
何をするつもりなのだろうか、何を考えているのだろうか。
過ぎ去ってくれれば良い、私から興味を無くしてくれれば良い、そう願ったけれどさわさわと右腕を撫でる感触が広がって、お腹のあたりも触れられていく。
よく分からないモノが自分に触れるおぞましさを堪えながら、やっと反対の左手の指がかすかに動いた。
動く、動いた!
よし、ここから動く範囲を広げて行こう、そして分からないモノを突き飛ばして、逃げ出すんだ。
そう思った頃には、女の子は私の首元まで迫っていた。
首に何かが触れた。驚いて目を開けると、すぐそこに顔がある。
私は目を開けた事を後悔した。
爛々とした目が異様なまで見開かれていて、しっかりとこちらを見ている。
最初からターゲットは私なのだ。
たぶん私の上に馬乗りになっているのだろう、不思議と重さは感じないけれど、手ははっきりと首に絡まっている。
もう目を閉じる事は出来なかった。少しでも隙を見せたら、何をされるか分からない。
早く、手が、身体が動くようになれば、全力で動こうと努力しても、なんの抵抗も出来なかった。
徐々に、指がしまっていく。
女の子が力を込めているのだ、私の首に。
圧し掛かるように、覆いかぶさるように、私の首を絞める。
すぐに息が出来なくなったわけじゃない。少しずつ、息が苦しくなっていく。
すぐにでも振り払いたいけれど、抵抗することも出来ず、私の命に手をかけられている。
苦しい、怖い、助けて、そう怯える私を面白がるかの様に、女の子は顔を覗き込んでくる。
目をギョロギョロとさせながら、笑っているように見えた。
なにか言っている様に見えた。
このままではいけない、負けてしまうと思った私は、がむしゃらに身体を動かそうとした。
全然動かないけれど、腕を振り回して足を蹴り上げるつもりで、神経だけは大暴れさせた。
その時、実際にはほんのわずかだと思うけれど、足が布団をかいたのだ。
瞬間、私はおばあちゃん家の玄関脇の部屋の、何の変哲もないベッドの上で横になっていた。
身体も動く、声も出る。
女の子なんて、影も形も無かった。
ホッとしたら、汗が噴き出て心臓がバクバクした。
良かった、夢だった。変な夢を見ただけだ。
そう、自分に言い聞かせたけれど、やけにはっきりと残る首を絞められた感触を、私は大人になった今でも忘れられない。
っていう、若宮の実体験でした。
暑い毎日だけど、少しは涼しくなりましたか?
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