【自己紹介《過去編》】ずっと自分に自信がない、それが当たり前だった
どうも、わかです。
今日の話は、
【自己紹介】
知識0・経験0・実績0・PCオンチの
アラフォー主婦が
ネットで稼ぐリアルを大公開
~何があっても自分らしく、自分1人で稼ぐ力をつける~
のプロローグ的な過去のお話です。
合わせて読んでもらうと面白いかなーと思うので、
まだお読みいただいていなければ、
ぜひ一緒に読んでみてください。
今でこそ、
ネット上に自動販売機を作る
とか
1ヵ月で0→1突破
5ヵ月で6桁稼ぐ
とか
ちょっと普通の40代とは
違う働き方を選択していますが、
タイトルにもある通り、
元々は
ずっと自分に自信がない
自己肯定感の低い人間です。
・発信なんてしたことない。
・人前、苦手。
・注目浴びるの大嫌い。
・基本、ひとりが好き。
・うるさいところ、ガヤガヤしたところ苦手。
・気の合う、優しい人とだけ仲良くしたい。
SNSは、今でも怖いです。笑
ついでに、
体力が本当にありません。
子供の頃から疲れやすく、
体力は人並み以下、
大人になってからは、
子宮内膜症、卵巣嚢腫、子宮筋腫などなど
婦人科系疾患のデパート状態
気力はあっても
身体がついていかない日が
月の半分以上。
さらに、
子どもが生まれてからは、
(バリバリの高齢出産)
慢性的な睡眠不足で
身体も心もボロボロでした。
そんな私が、
・大好きな家から一歩も出ずに、月6桁。
・苦手な人間関係に振り回されない
・自分のことを良いと思ってくれる人だけがお客さんになってくれる。
・PC1台でいつでもどこでも作業ができて、
好きな時に好きな場所に行ける。
・月5000円の子どもの習い事も1つに絞らず
好きなだけ通わせてあげられる
・わかさんのおかげで人生が変わるきっかけになりました。と言われる
・やってて楽しいことだけ追及して、収入もついてくる。
こんな生活をするようになるなんて、
20代の私が今の私を知ったら、
驚いて言葉も見つからないんじゃないかな
と思います。
私の過去をお伝えすることで、
こんなに普通。
よりも、ちょっと生きにくい。
そんなやつでも
ネットビジネス出来るんだなと
思ってもらえると思うので、
赤裸々に書いていきたいと思います。
ストーリー形式で、
サクッと読めるようにしてあるので、
3分ほど、
暖かいコーヒーと一緒に読んでくださったら嬉しいです^^
ではさっそくはじめます
わたしの生きてきた道
___________________
自己肯定、ナニソレ?
============
街のどこからでも雄大な山が見え
歩いた先々には 川のせせらぎが聞こえる
生まれ育った岩手の大好きなところです。
疲れたな、しんどいな、というときは
この風景を思い出すとほっとします。
そんなほっとする故郷で、幼少期のわたしは
とにかく窮屈で、鬱々として、常に息苦しさ
を感じていました。
小さい頃から身体が弱くて、小3くらいまでずっと
ちょっとしたことで入退院を繰り返し、
休まないで学校に行けるようになったのは
小4くらいだったかなーと思います。
インフル→入院
おたふく風邪→入院
食あたり→入院
風邪→入院
病院の窓から見た花火大会、
ベットで読んだ本、作った工作、
学校の先生が来てくれた時、 嬉しくて泣きそうになったこととか
そんな記憶が大半を占めてます。
そのせいか、親はとても過干渉でした。
・虫取りをしていれば、 おままごとをするように言われ
・運動部に入りたくてもいつの間にか合唱部に
・放課後は母が迎えにくるので、友達と遊べない
自分が親になった今、 心配する気持ちも分かります。
子どもが病気した時に 「自分のせいじゃないか・・・」
そんな風に思って、 心がぎゅっとなる感じ。
そんな想いをしてきたんだろうな。って。
それでも、
自分の好きなことを選べず、みんなと同じようにさせてもらえない、
だんだんと、
「自己肯定感」ってやつが低くなっていきました。
今思えば、
・生きるってなんだろう
・なんでこんなに息苦しいんだろう
・ここから逃げ出したい
・自由になりたい
そんな事ばかりを考えていたと思うのですが、
子供なので、表現はもっと幼稚で直接的でした。
よその子になりたいなーとか
みんないなくならないかなーとか
ノストラダムスも待ってましたね。笑
大反抗期時代、でも結局・・・
================
それでも、
そのままずっと鬱々と していたわけではなくて。
身体も少しずつ丈夫になってきて、
病院に通うこともなくなってきた中高生からは
事あるごとに親に反発しました。
高校、大学、就職、 進路のたびに大戦勃発。
近くにいて欲しい親と自由になりたいわたし
小さい頃、したい事が出来なかった反動が一気にきた。
そんな感じだったと思います。
友人には、万年反抗期なんて言って、
自分を茶化していました。
でもいくつになっても辛かった。
なんでも話せる家族
とか
親に夢を応援してもらえる
とか
うらやましかった。
認められたい人に
認められないまま生きていくって
めちゃくちゃしんどいんですよね。
否定されるたび、そんな事ない!
って反抗しても
心のどこかで自分を信じきれない
そんな弱さを自覚していました。
死のうとは思わないけど、
特に長生きしたい理由もない
20代はそんな感じでした。
好きな仕事を選んで
好きな土地に住んで
好きな習い事をして
そんな自由を手にして、楽しい瞬間もあったけど、
社会人になってからは、
元々あった生理痛がどんどん酷くなり、
30代で婦人科系疾患が発覚。
やっぱり、
人と同じように働くこともできない自分を
突き付けられることになります。
遠のく意識、動かない身体
==============
初めて救急車で運ばれたのは、30歳。
ある日のお昼休憩、人気のなくなったオフィスで
突然、激しい吐き気と腹痛に襲われました。
目の前がチカチカして、汗が全身から噴き出す
「やばい・・何かおかしい・・・」
死に物狂いでトイレに駆け込むも
止まらない嘔吐
まったく力が入らない身体
汗は止まることなく
額と背中から滴り落ちる
外からかすかに聞こえた先輩の声に
「〇〇さん・・・うご・・けません・・・」
なんとかドアを開けて助けを求めました。
卵巣嚢腫
その時、私を襲った病気です。
腫瘍が大きくて、卵巣が2つとも捻じれていたので、
正確には、卵巣嚢腫茎捻転という病気。
救急車で病院に着いて、
すぐに気を失った私は、そのまま手術となりました
幸い、卵巣は残ったものの、
元々、生理痛が重く生理も不順。
子宮内膜症持ちで ロキソニンがお友達
月の半分は、重たい身体を引きづって働いていました。
その後も、不調は続きます。
駅で倒れて救急車呼ばれてしまったり、
謎に出血が止まらず緊急入院した事も、
(この時した塞栓術という処置がトラウマ過ぎて思い出すと震えるレベル)
「なんでこんなに病気になるんですか?」
「どうしたら治りますか?」
そんな質問をお医者さんにしたこともありました。
「う~ん・・身体弱いのかなぁ・・・」
「子宮は説明つかないことも多いから~」
なんて言われて納得できるわけもなかったけど、
他にも肺炎で入院したり、
ただの風邪で診察中に意識を失ったり、
何度か入退院を繰り返し、
ままならない自分の体調を突き付けられて、
「あーやっぱり、無理できない身体なのかなー」
「働くのしんど・・・」
「もう充分!明日死んでも悔いなし!」
と、刹那的な考えで日々をやり過ごしていました。
そんな、その日暮らしで、
糸の切れた凧 (友人に言われた言葉。)だった私ですが、
それでも、
現実は待ってくれません。
命を売って、生きている
=============
働かないとお金がもらえない。
当たり前だけど、入院するたびにお給料はゼロ。
傷病手当はありがたかったけど、それだけで生きていくのは難しい。
働かないとお金がもらえない不安を
30過ぎて初めて感じたんです。
正社員を3年経たずやめて、
派遣で一生食べていけると思っていたけど、
そっか、健康じゃないと働き続けられないんだ・・・・・
どんどん減っていく貯金通帳を見ながら
こんな当たり前のことを考えてこなかった
自分の未熟さを突き付けられました。
他の人よりずいぶん遅いけど、
働くとは?
時給とは?
じゃあ、これからどうしたい?
ずっと自分の時間を売っていく?
病気になったらどうする?
そう真剣に考えるきっかけになりました。
爆誕!世界で一番大切なモノ
===============
それから結局どうしたかというと、
数年後に、 働くペースを落とす事を決断。
まずは、お金よりも命を優先する事に。
不妊治療もしました。
(いろいろと辛かったので、記憶ごと封印しています。)
そして、 30代最後の年に、息子を授かりました。
重度のつわりで1か月の入院、出産直後に胎盤が出てこない、
とか、思い返すと震えるくらいきつかったけど、
本当に嬉しかったです。
しわくちゃな手も、まぶしそうな顔も、
「あー命ってこういう事か。」
「これは守らないといけない」
そう思うと同時に、
ありきたりだけど、ここから新しい人生が始まる。
そんな幸せな気持ちでいっぱいでした。
3年間の睡眠不足の果てに
==============
なんかおかしい…と思いはじめたのは 2歳半の時。
息子はとにかく眠りが浅い子でした。
いびきもかいていて、シーンとした寝室に響く
ガーガー、ゴーゴーとした音は
それはもう工事現場のようで、
とても隣では寝ていられないほど。
音はときおり ピタッと止まり、
数秒後には ギャー と泣き叫ぶ息子の声に変わる。
それが夜中に何度も何度も繰り返される。
「いつか寝るようになるだろう」
「あとちょっと頑張ろう・・・」
そう思って毎日自分を奮い立たせていたけど、
2年半続いた、細切れ睡眠で身体は悲鳴をあげていました。
手は震え、瞼は目に重く垂れさがり、
頭は常に誰かににぎりつぶされているような感じ
ねむい
つかれた
やすみたい
ミミズのような文字で紙に書きなぐりました。
でも誰も助けてくれない。
この命を守れるのは自分しかいない。
そう自分を奮い立たせる毎日。
ごめんね・・・・ お母さん横になるね・・・
今日はおうちで遊ぼうね・・・
そう言い聞かせてしまう日は 自己嫌悪でいっぱいでした。
大きな声を出してしまうこともありました。
子どもの前で泣いてしまったこともあります。
精神も肉体も、壊れていたと思います。
ある時、 風邪をこじらせていった病院で
アデノイドが大きいのかもしれない
そう言われました。
初めて聞いた言葉だったけど、
にぶい頭で反芻し、検索しまくりました。
そして、すぐに大きな病院で手術することが
トントン拍子に決まり、
3歳になってすぐ、手術することに。
術後の子どもの寝息には、驚きしかなかったです。
普通の子どもって、こんなに静かなの!?
生きてるか心配になる~ってこれか! って。
本当に嬉しかったです。
スースーと気持ちよさそうに寝ている息子の顔を見て
「静かに寝てるーー」 って、泣きながら夫にメールしました。
そうして退院してから少しずつ自分も眠れるようになり、
元気になってくると、
頭に浮かんできたのは、 お金の不安です。
きっとこれから、どんどんお金がかかる。
習い事もさせてあげたい。
好きな道に進ませてあげたい。
でも「人は寝ないと壊れる」
そんな経験をした後では、
睡眠不足、体力不足を抱えながら、
時間に縛られた働き方をするのは 、正直怖いと思いました。
命をすり減らすことだと。
時間とお金
======
そうしてわたしは、
時間もお金も自由になりたい
無理したくない
雇われたくない
そんなわがままを叶える為に
右も左も分からないネットビジネスの世界に飛び込みました。
と言っても、いきなり起業しよう! フリーランスになろう!
なんて思ったわけじゃないです。
そんな方法まったく知らないですし、
そもそも、みんながどうやってネットで稼いでいるのか、
まったく分かりませんでした。
まずはSNSで
「主婦 在宅」
「副業 フリーランス」
あたりをググりまくりました。
そして、
ブログやるならワードプレス一択!
10分で開設できる!
そんな言葉を鵜のみにし、ブログ開設するも、
あまりの意味の分からなさに挫折。
(そもそも10分で開設できなかった)
ライティングは必須スキル!
そんな記事を見かけて、
本を買って読むも、書けるようにはならず・・
次は、
Webデザイナーだ!
動画編集だ!
手をつけては、なんか違う・・・を繰り返し、
半年、無収入が続きました。
無理かもしれない・・・
やっぱり時間を切り売りするしかないのかな・・・
そう諦めかけていた時、
『コンテンツビジネス』
に出会います。
「ネットビジネス?」
いやいや、副業探してるだけだしな・・・
そんな大層な・・・
自動化?仕組み?メルマガ?
怪しすぎる!そう思っていました。
(なので、怪しい!って思う気持ち分かります。笑)
ただ、知るとそれはただの「知識」だったんですよね。
ネットビジネスっていうのは、
インターネットを活用したビジネスのことです。
「あー何も知らないんだ。」
「これじゃ稼げるわけない。」 って納得しました。
ネットは、
・リアルの店舗と違って、固定費がほぼかからない。
・人と違って、365日24時間いつでも働いてくれる
というメリットがあります。
体力よわよわな私は、
これがいちばん魅力的に感じました。
今に続く、凡人主婦の亀の歩み
=================
そうして、
わたしははじめてのネットビジネス
「コンテンツビジネス」に
挑んだわけですが・・・
ここからの話は、
最新の自己紹介に続いていきます。
続きが気になったよー
って方はこちらも読んでみてください。
一言で言うと、
『稼いだら、病んだ』
です。
↓ ↓ ↓
【自己紹介】
知識0・経験0・実績0・PCオンチの
アラフォー主婦が
ネットで稼ぐリアルを大公開
~何があっても自分らしく、自分1人で稼ぐ力をつける~
「ネットビジネスやってみたい!」
けど、何からやっていいか分からない方へ向けて、
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