「もうひとつの時間」を思う夜
この時間 この時間は なんと呼ぶのだろう
この時間 どこかでだれかが
食事をしている
この時間 どこかでだれかが
しごとをしている
この時間 どこかでだれかが
大きく伸びをしている
この時間 どこかでだれかが
猫にえさをやっている
この時間 どこかでだれかが
愛をささやいている
この時間 どこかでだれかが
別れに沈んでいる
この時間 どこかでだれかが
生を受けている
この時間 どこかでだれかが
海の風を浴びている
この時間 どこかでだれかが
花を眺めている
ある時間 どこかのだれかを
わたしは思っている
同じ時間 どこかでだれかが
わたしの時間を思っている
この時間 どこかでだれかが
もうひとつの時間を思っている
この時間 この時間は なんと呼ぶのだろう
会いもしない だれかのことを 思う時間
見えもしない どこかの時間を 思う時間
その時間 その時間を なんと呼ぶのだろう
忘れがたい ゆらぎを ふと 思う時間
*
読んだもの、聴いた話から何かを書きたくなることがあります。
星野道夫さんの著書『旅をする木』に「もうひとつの時間」というお話があります。ある対話の会で、その素敵な朗読を聴きました。
「東京での仕事は忙しかったけれど、本当に行って良かった。何が良かったかって?」
「それはね、私が東京であわただしく働いている時、その同じ瞬間、もしかするとアラスカの海でクジラが飛び上がっているかもしれない、それを知ったこと……東京に帰って、あの旅のことをどんなふうに伝えようかと考えたのだけれど、やっぱり無理だった。結局何も話すことができなかった……」
ー星野道夫『旅をする木』の
「もうひとつの時間」より
読んでくださってありがとうございます!