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「みらいカルタ」が残酷で、何の問題も解決しない話 | 未来を想像する楽しさを真に獲得するには?

「いつからか将来の夢を考えなくなる大人」が多いそうです。日本人成人全体の約7割は「自分の未来を考えられていない」と回答しているそうです。この状況を問題視したみずほ銀行は、その解決策として「みらいカルタ」というプロジェクトを行ったと発表しています。詳細は以下のURLから直接ご覧ください。

僕は街中の動画広告で「みらいカルタ」の存在を今日知りました。このnoteを書くに至った理由にも繋がりますが、ひと目見て違和感を感じ、調べれば調べる程違和感が溢れてきました。正直反吐が出ています。その違和感の正体を言語化し、「すべての人が未来を想像する楽しさを真に獲得できる」社会をつくるにはどうすればいいのか?向き合うべき問いは何なのか?について僕なりの考えを発信したいと思います。

みずほ銀行の「みらいカルタ」とは?

2020年1月14日(火)から、みずほ銀行YouTube公式アカウント等で公開している実験ドキュメンタリーです。

「あなたの将来の夢は何ですか?」この質問に対して、あなたはすぐに答えを出せますか?日本では、多くの方が将来に不安を抱え、自分の未来について考えるきっかけを失っています。より多くの人に、ワクワクするする未来を想像して実現して欲しい。そんな想いから私たちは「みらいカルタ」を企画・制作しました。

↑こちらが企画背景の概要です。「あ」から「ん」まである白紙の読み札と絵札に、未来を自由に想像し、描くことで完成するカルタというのが「みらいカルタ」です。「みらいカルタ」を親子で記入し、子どもが考える生き生きとした親の未来に、その親が刺激を受け、忘れていた夢、また、未来を想像する楽しさを思い出すというストーリーです。

「大人」は、未来を想像する楽しさを忘れているのか?

「みらいカルタ」の動画広告をひと目見て感じた違和感の正体は、「未来を想像しなくなった大人たちを目覚めさせなければ」といったような課題設定でした。

授業参観のはずが、学校で用意されていたのは、お子さんたち自身のお父さん、お母さんの未来や将来の夢を想像して描いた「みらいカルタ」。
子供の豊かな想像力に、親御さんが未来を想像する楽しさを感じていくドキュメンタリームービー。

↑は「みらいカルタ」特設ページにある一文です。いつからか未来を想像する楽しさを忘れてしまったお父さんお母さんを、子どもの想像力で刺激してあげよう!という趣旨だと読み取っています。

ここでまず疑問なのが「大人は、未来を想像する楽しさを忘れているのか?」ということです。16歳-20歳の時の自分を振り返ってみてください。「幸せな家庭を築きたい」「スポーツ選手になりたい」「こんな学問を学びたい」そんな夢や未来を考えることにワクワクしなくなっていたでしょうか。少なくとも僕はポジティブな未来を期待し胸を弾ませていたと記憶しています。

未来を想像することに楽しみを感じ、チャレンジを続けている大人を僕は知っています。40歳を超えてもロケットを飛ばす未来に向けてワクワクしながら行動している人。60歳を超えても登録者100万人を目指してYouTubeを始めた人。彼ら彼女らの姿を見ても、歳を重ねると自然と未来を想像しなくなる、なんてことはあり得ないと思います。

大人が未来を想像しなくなる原因は、その楽しさを忘れてしまうことではなく、別にあると考えます。「みらいカルタ」を未来を考える楽しさを取り戻す手段として使っているのであれば、的外れだと感じるのです。

「大人」は、なぜ未来を考えなくなるのか?

では、なぜ大人が未来を想像しなくなるのでしょうか。

どうしても子供のことや家事を優先してきたので、自分の夢がいつの間にかモヤモヤになっていました。子供が作ってくれたカルタには、私が将来やりたいと思っていた夢が書かれていました。わざわざ言葉にしたことは無いのに、私のやりたいことが伝わっていたことに感動し、思わず涙が溢れてきました。(50代女性/子供:小学校6年生)

↑は「みらいカルタ」に参加したという女性の感想です。僕の違和感の正体はこの感想文に凝縮されていました。

この女性は、自分の夢を持っていたんです。でも、子供や家事を優先しなければいけなかったんです。夢を半ば諦めざるを得なかったのです。
この女性は、未来を想像する楽しさは知っていたのではないでしょうか。問題なのは、その未来を諦めなければならなかった状況にあったのではないでしょうか。

「みらいカルタ」は諦めるしかなかった夢、そして、いつの間にか諦めていた自分について強く印象付けたことでしょう。僕はあまりに残酷なことをしていると思います。なぜなら、この女性が夢を実現するには厳しい状況は変わっていないからです。

子どもは当時小学6年生です。高校を卒業するにしてもあと6年、大学を卒業するならあと10年は面倒をみたり、生活費・教育費を工面する必要があります。その中で、次の6-10年、子供のことや家事を優先せざるを得なかった彼女がそこから解放され、自身の夢のために時間を費やせる可能性はどれ程あるのでしょうか?
将来の夢を思い出し希望に満ち溢れたのも束の間、希望を打ち砕くような日常の業務や忙しなさに直面し、希望はまぼろしだったことを痛感する。「みらいカルタ」は、そんな残酷な現実の影を色濃く映し出すような代物だと、僕は感じます。

もちろん「みらいカルタ」での体験が、その女性がパートナーや親族や家事代行業者に家事や子どもの面倒をより担ってもらうよう働きかけるきっかけになったり、家事や育児と並行しながら寝る間も惜しんで努力を続け結果的に夢を叶える可能性はゼロではないでしょう。だとしても、それは夢を諦めざるを得なかった環境を彼女自身で解決したに過ぎず、「みらいカルタ」は根本的な問題解決には何も繋がっていません。

大人が未来を想像しなくなるのは、想像した未来を実現するための時間や機会を奪われていることが原因で、「想像しても無駄」と考えるに至るからだと考えます。

将来の夢を諦めさせる社会的不条理や慣習を変えて欲しい

「大人」から時間や機会を搾取している社会的不条理や慣習はたくさんあると感じます。男女間の家事時間の不平等さ、家庭の所得水準によって生涯賃金がある程度決まる格差の再生産、核家族1単位で子どもを養うことが当たり前とする社会慣習、結婚やマイホーム購入など画一的なライフプランの強要、KPIの達成を是とする企業風土、1日や1週間の大半を仕事に費やさせる労働慣習etc。

個人の考え方に課題を帰着させるのではなく、個人をそうさせている環境にある課題を特定し解決を行っていくべきだと僕は考えます。みずほ銀行の「みらいカルタ」のような表面的にふんわり良さそうなプロジェクトを推し進めても何も変わりません。既存の社会構造や慣習に切り込むようなプロジェクトや事業を推し進める、それが僕のやりたいことですし、他の皆さんと協力して実現したいことです。このような違和感と願いが、どうかここまで読んでくれた皆様に届いていることを期待します。

最後に

僕の父親は、紹介した女性と似たような境遇にあります。父親は彼の興味分野であるキャリアコンサルの道でいずれ起業したいと考えています。数年前すぐにでも行動に移したいと考えていたそうです。しかし、思い立った当時僕が大学進学前、妹が高校進学前だったため、まだまだ教育費・生活費を工面する必要がありました。そのため、現職に止まり安定した給料を得る選択をそれから続けていて、夢の実現に向けては数年足踏み状態なのです。
偉そうなことを言ってきましたが、僕は、父親の時間や機会を代償にして育ててもらった身分なのです。父親にはとても感謝しています。
そんな彼の姿を見てきたからこそ、僕は「未来を想像していない大人」と日本人の7割を一括りに評するのは不快感を覚えるし、考える機会を与えればいいってものではないと直感的に考えるのです。
個人ではなく、環境を変える。それがみずほ銀行始めすべての企業や人々に考えて欲しいことです。

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