縄文土器に会いに行く
2021年7月、「北海道・北東北の縄文遺跡群」がユネスコ世界文化遺産に登録されました。
自分の好きな土地が自分の知らないところで盛り上がっている。そんな悔しさはあれど、今まで、あまり縄文には興味が沸かずにきたのですが・・・。
最近になり、縄文時代が環境破壊も戦争もなく日本の時代区分の中で1万年続いたことを知り、興味を持ちました。
行ったのは以下4軒↓
🏺入江・高砂貝塚館(洞爺湖町)
🏺北黄金貝塚情報センター(伊達市)
🏺旧絵鞆小学校(室蘭市)
🏺のぼりべつ文化交流館カント・レラ(登別温泉町)
↑は南茅部でたまたま実際に見ることができた「中空土偶(国宝)」。今思えば非常にラッキーなことでした。
🏺入江・高砂貝塚館(洞爺湖町)
貝塚館では防災の日にちなんだイベントが行われていて、普段は貝塚館の案内をされている男性も、今日は防災イベントのスタッフなんですよ、と代わりにガイドを始められたばかりと思われる女性が案内をして下さった。
貝塚館のメインが下の首飾り。イノシシは北海道では入手できない物で、当時の人は広く交易が盛んだったことが伺えます。
さらに人の歯を模したイノシシの骨は、全国でも珍しい物らしい。
入江貝塚は、洞爺湖町の内浦湾を望む、標高の高い位置に台地状にありました。
綺麗な芝を歩くと遠くにキラキラした海が見え、気持ちの良い場所でした。
貝塚公園には貝塚の他に竪穴建物跡や土坑墓等もありました。
縄文時代の住まいは場所や時期によっては洞窟の時代もありましたが、展示されていたのは竪穴住居跡で、屋根の柱だけを復元したものと、土葺き屋根を復元したものとがありました。
🏺北黄金貝塚情報センター(伊達市)
こちらも素敵な施設でした。
こちらのセンターにはすり鉢状の石がありました(他の施設には無かったと思う)。本物かどうかの記載はありませんでしたが、きっとこうやって潰していたんでしょう。
当時の生活が目に浮かびます。
藤子不二雄先生がもし縄文時代のマンガを描いてくれていたら、わたしは今よりもっと早くに縄文時代に興味を持っていたでしょうが、藤子不二雄先生が描いたのは「未来から来た猫型ロボット」でした。
縄文時代と言うのは、食糧が豊かで、狩猟採集を行ないましたが、同時に精神的にも豊かで、死者を手厚く埋葬する文化、創造性を持って着飾ったり紋様を描く文化が発展したようです。
現代人のようにヒトの本能や身体性と引き換えに手にする未来への指向性は、これから、どこへ行くのかと考えてしまいました。
豊かな精神性を得るのに、現代文明は必要無いのではないかとも思います。
朝陽と共に起き、よく働き様々な命を頂き、様々な栄養を摂りストレス無く生き、日没と共に活動を止め、よく眠る。
縄文人の暮らしとは、こう言うことでしょうか。
🏺旧絵鞆小学校(室蘭市)
旧絵鞆小学校の縄文展示に至っては、一般公開されていた旧絵鞆小学校に入れたことが嬉しかったです。
🏺のぼりべつ文化交流館カント・レラ(登別温泉町)
登別温泉街の近くにあった文化交流館。近くをよく通るのに知りませんでした。
上記の土地になぜこのような遺跡が残っていたかと言うと、昭和新山と言う活火山の噴火によって堆積したものがフタとなって遺跡が酸化するのを防いだと言うお話しでした。
なぜ縄文人は貝塚を作ったのか。
それは世界中にあるケルンと同じようなものなのか。積み重ねられた貝塚にわたしが感じたことは以上のようなことでした。
分かるのは,時代もわたしも、「過去の歴史から学ぼう」と思うくらい揺らいでいるということでしょう。
今日、ある方の心理カウンセリングにスーパーバイザーとして同席しました。できごとのどこを切り取り、どう感じ、どう解釈をしてどう目の前の人を楽にするかに答えはなく、ソーシャルワーカーのセンスによる所が大きい。
今日はそんなセンス磨きのよい訓練になりました。
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