【17歳】コーラス部 主将の学び
私には日本舞踊以外に、
とびきり情熱を燃やしたことがある組織があります。
それが中・高時代の部活です。
中1の部紹介をきっかけに一目惚れしたコーラス部に、
即入部を決意したのは、今からもう10年以上も前のことなのかと思うと
時間の経過の速さに驚かされます。
今回は中でも、
高校2年生の時に部長として1年間学んだことについて
お話したいと思います。
日本舞踊のことばかり話していたのに、なぜここで部活の話題かと申しますと、
私にとってこのコーラス部で学んだことが、
そっくりそのまま、現在の活動の基盤を作ってくれている、
とても大切な体験だったからです。
まず、私の母校のコーラス部には
年に4回のイベントがあります。
4月にスプリングコンサート
7月にサマーコンサート
10月に文化祭
そして2月に他校の音楽部との合同演奏会
中でも秋の文化祭では合唱ではなく、ミュージカルを上演するという文化でした。
私にとってミュージカルは、日本舞踊以外の大好きな分野として欠かせないものです。
中1から先輩方についていき、
サウンドオブミュージック(修道院長)
メリーポピンズ(バンクス お父さん)
ウィキッド(ボック)
リトルマーメイド(セバスチャン)
と、高1まで続き
いよいよ自分のトップ学年で挑戦したのは
マンマ・ミーア!(ドナ・シェリダン)
でした。
ちなみにカッコ()の中はそれぞれ私が挑戦させてもらった役ですが、
今こうして久しぶりに文字で見るだけでも、景色を思い出してしまいました。
話を戻しまして、
ミュージカルを作るにあたり、コーラス部が得意とする歌だけではなく
役決め、ダンス、演技、大道具、衣裳、演出、構成、台本、プログラム印刷、広報、先生への招待状
これら全てを部員で頑張るという、大きなチャレンジでした。
そんな、やること盛りだくさんの文化祭準備を引っ張る中で
いちばんの学びは、
出演者もお客さまも生き生きと満足するために動くこと
でした。
本番は体育館の舞台から、パイプ椅子がずらりと並んだ客席のお客さまに向かって上演を行います。
そもそもこのミュージカルは、誰が喜ぶものにすれば良いか?を考えるようになりました。
もちろん、自分たちがようやく到達できたトップの学年、
引退前の締めくくりとしてばっちりソロ歌いたい!という気持ちもありました。
ただ、もう少しだけ周りを見ると
部員中トップ学年は5人、後輩は20人くらい
ほとんどが後輩です。
このミュージカルを支えてくれているのは、後輩の方が圧倒的に多いわけです。
自分たちのことばかり考えている場合ではないということでした。
なおかつ、私たちの学年は後輩に恵まれて
ダンス、絵、譜読み、色々才能のある仲間がたくさんいました。
今後のコーラス部を引っ張る存在でもある後輩にこそ活躍できる場があったほうがいいとも思っていたし、
まして自分も譜読みが大の苦手でしたので、どんどん後輩に助けてもらいました。楽譜が読めない部長を心配してくれていたのでしょう...笑
そうしているうちに、部員みんなが生き生きとミュージカルに向き合って作り上げる手応えを感じるようになりました。
行き帰りの電車、お昼休み、家に帰ってから、さらには夢の中でまで、
ミュージカルを成功させるためにはどうするか考えていました。
そして部員みんなで目指した成功の先には、お客さまの存在がありました。
家族やクラスメイト、たまに他校の友人も見にきてくれる舞台です。
私は満席にしたい一心で本気の集客をしたことを覚えています...笑
そんな大切なお客さまに「見にきてよかった」と感じていただけるように
台本に台詞を付け加えたり、振り付けの修正をして何度も練習したり
音楽室の窓から見える景色がいつの間にか変わる退出時刻まで
みんなで頑張っていました。
こうして迎えた本番、
自分たちも楽しい、お客さまも笑顔、
あの時に拍手は日本舞踊の舞台とまた全然違うものでした。
ここで初めて、
人から喜ばれるためにどうすれば良いか
を本気で学ぶことができました。
そしてそれはお客さまはもちろんのこと、
一緒に目標に向かう仲間をも喜ばせることができると、
もっと全体が良くなるのではないかと、学ぶことができました。
マンマ・ミーア!を一緒に作り上げた同期や後輩とは
今もたくさん連絡を取り合っています。
業種や目指している進路は様々ですが、
大きなミッションに一緒に取り組んだ証として、
どこか共通点のある仲間だなあと感じています。
そんな特別な部活の経験から、
仕事においても大切なことを勉強させてもらいました。
あの頃の仲間、お客さま、そして先生に感謝を込めて。
マンマ・ミーア!
日本舞踊家 有馬和歌子