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転勤=ブラック?

The 昭和の転勤族の父親を持った私は、小学校時代、ほぼ1年に1回転校した。海外3か所、国内2か所。高校入学後は親と共に動くことはなくなったが、父親の転勤は続き、夏休みはその単身赴任先で過ごしたりした。

親が数年に1回転勤するのが当たり前だったので疑問さえも感じてなかった。逆に高校生になって地元から一度も外に出たことがない人が当たり前にいるこを知って驚いた。

更に人を採用する側になり、転勤どころか出張をも避けたがる人が多いことも驚愕だった。何故なら私は転勤や出張で体験できたことが自分の血となり肉となっていると感じていて、あえて避けようという考えがイマイチ分からないからだ。

ただ、人それぞれ事情がある。それを尊重できる風潮になってきているのはいいことなのだと思う。転勤を断る=出世コースを外れる/クビになっても仕方がない、くらいだった昭和時代には考えられなかった流れだ。

転勤は本当に必要か、と問われれば、会社運営上、転勤が必要な場合はあると考える。ただ、リモートワークも可能になり、社会的なコンセンサスも形成されつつある昨今、ごり押しは無理だ。出張でさえそうだろう。必然性なき場合、会社側の運営能力が問われることになる。

本当に必要か、と問われるようになってしまったのは、転勤自体というより、その運用方法によって、転勤=ブラック扱いになってしまっているからなのではないだろうか。

私事を犠牲にし、転勤も出張もいとわない社畜化した(もしくは仕事を言い訳に私事を犠牲にしてきた)親の姿が長じて今の非婚、少子化の一因になっていると個人的には考えているので、仕事と個人の生活の健全なバランス形成はそういった意味でも重要だと思う。

転勤も出張もアリ派としてはブラック扱いの風潮には賛同できていない。


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