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歌集『母となる』 第五章「海の辺の女」~『生殖の海』2024年版~
歌集『母となる』 第五章「海の辺の女」
橘のにほふあたりのうたゝねは夢もむかしのそでの香ぞする
アームカバーくはへ靴紐きと締めつガテン系女子の血を燃やすため
左腰にラチェットレンチを収めて立つ女子はオクタノルムを組みバラすのみ
だゞつ広いホールを壁で埋めてゆくこの工程が好きだなにより
天板を跨ぐそれとは反対の脚より駆けよ五尺脚立、七尺脚立
計三社わたり歩いて身を寄せたずつと愛せる場所をもとめて
あの比の上司とは違ふちやんと見るつもりで声を掛けた芦沢
下端組むことを地組みと呼ぶこともこゝに知りけりよもう三年目
どつか他社でやつてゐたのと聞かるればえゝあなたよりずつと前から
遅くとも組めば組まるゝ部材なりかへりみるまでをはりなどない
我れにさへわかる企業の金が動く二日で建てたブースのなかで
身に相応ふそを求むればこれも又締まらぬテンションロックナメたトルクスビットソケットに
口径T三十のビットに合ふはずのテンションロック探しつゞけて
いつか又こゝを去るときさいごまでひとりだつたと思ふのだらう
✽
五月雨にむかしの袖の香を強み目を開けて見る夢振り払ふ
パシフィコ横浜も東京ビッグサイト、幕張メッセも吹き交はす海風しげし朝ぞちぎるゝ
ショートヘアにこだはつてゐたあの比は我れのをんなを舐めきつてゐた
アイシャドウかへても誰れも気づかない世界よ深くふかくヘルメットを
おぼつかな子宮を抱へ生ける身にさうどこまでもどこまでも、海
鳴きつるか夢路を越ゆるほとゝぎす雲ゐの果ての夏山のいろ
橘はさ庭にとほく匂ふらしこの比あさき朝あけの夢
夢で逢えるだけでよかったのに愛されたいと願ってしまった
狂ひ咲き死せよ荒れ野ゝあげはてふ認められたいなんて望んで
ビルの上は霧り渡りたり漫喫を出でゝ向かへる二日目の朝
かき曇る空を車窓にながむれば五月雨雲を鳶ぞ裂き行く
潮の香もふる五月雨もひとつにてうち見はるかす六尺脚立のうへ
芦沢の笑みをゑみとはみづぐきのながれむかしをしづのをだまき
手すさびにビットを弄るGOを得るまで潮騒に頬を打たせて
まづ動くからだに覚ゆ基礎壁の撤去、誰れとのセックスに似る
ひと息に終はるバラしは永遠にとゞかぬ腕をなほ伸ぶる夢
キャスターにキャメルを混ぜて有明の風海の辺を吹き通ふなり
とほくから愛してゐたいひとゝして背を向け去りし夏の夕暮れ
暗がりにたゞいまといふこゑを置けばうなづきかへす影さやかなり
手づくりの惣菜あまた詰め込まれそらみつヤマトクール便来ぬ
好きなひと以外と結婚するなんて妥協だマヽのチキン南蛮
こゝろもち熱きシャワーに流しきる汗と怠さと月経血と
昨日けふ又あざの増え覚えなき切り傷もある四肢の白妙
左膝より破れゆく茄子紺のカーゴパンツの十一枚目
このメンツなればすゝんで組むべしとわかる現場に風はすゞしい
芦沢のゐない現場は平和だと笑ふ原井の頬、荒れた肌
あいつマジで無理だよなあと言ふこゑを汗とゝもにぞ振り払ひつる
期待とかパワハラだとかこのご時世なんとでも 朝の胃袋にピノ
はかなしや身をうき草のねなしぐさよたゞよふビッグ、メッセ、パシフィコ
二十四のあいつのマヽと同い歳の彼女なりけり朝四時の風
サチさんの腹がいまさらとは思ふけど思ふけどつれなしな、げに
母である十八年を誇るやうなをんなはゐないこの海の辺に
影山が岩井になつてゐたと知り微笑まれたり微笑まるべく
あれほどの美人ならねとぬばたまの黒瀬の女に妬くこともない
穏やかで声なつかしきつゆしもの秋野に育てられてゐたなら
聞ゝかへし笑ひ飛ばした惚れてたのかとうち日さす宮垣が問ひ
まづ使はぬもの持ち歩くウェットティッシュとかゴムとか子宮とか、とか
平台車に片膝乗せて地を蹴ればあいつのゐない芦の根の世や
潮風の素肌に痛き夜を越えて又愛される夢を見てゐる
顔を上げひたひを拭ふ午前二時アスピリンはもう要らず、そろそろ
空つぽの子宮を忘るべくけふも地組みに対かふガテン系女子
ふつうのをんなといふ枠に生きるだらうきつと生涯母とならずて
ぴつたりのロックはいくらでもありてナメたら捨てゝ取り替へるまで
彼氏てふ普通名詞はさはれたゞ我れ花ぐはし芦沢を欠く
脚立置く位置、地組み癖、世々を経ておまへのくれたすべてを愛す
五月雨に消つとも消えぬ匂ひ濃き見えぬ影さへ見ゆる橘
五月雨のやがて去るべき空の青さ目を開けて見る夢のつゞきを
濃き色のブラウンアイシャドウが欲しい五月雨明けの鋭き影ぞ射す
梶間和歌歌集『母となる』 ~『生殖の海』2024年版~
序章 にほふマルボロ
第一章 松の緑
第二章 まよふうたゝね
第三章 レモンのマドレーヌ
第四章 明けぬ夜の闇
第五章 海の辺の女
第六章 及ばぬ高きすがた
第七章 露のあけぼの
第八章 草枕
第九章 母となる
第十章 水鳥のつばさ
終章 夢の浮橋
2024年版にはあとがきを用意しておりません。
2020年版のあとがきを無料公開しておりますので、そちらをご覧ください。
過去の『生殖の海』
2020年版『生殖の海』
2021年版『生殖の海』
2022年版『生殖の海』
2023年版『生殖の海』
紙媒体の『生殖の海』2020年版
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梶間和歌がつつがなく和歌創作、勉強、発信を続けるため、余裕のあります方にお気持ちを分けていただけますと、
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「この無茶苦茶な生き方を見ていると勇気がもらえる」
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なんて思ってくださいます方で、余裕のあります方に、ぜひともご支援をお願いしたく存じます。
noteでのサポート、その他様々な形で読者の皆様にご支援いただき、こんにちの梶間和歌があります。ありがとうございます。
特にこのたび令和5年の隠岐後鳥羽院大賞和歌部門で古事記編纂一三〇〇年記念大賞を受賞し、表彰式を含む大会のツアーに申し込み、ツアー代金(9万円弱)は生活費と別に工面することになりました。
ツアーには無事参りましたが、その後の生活もございます。お気持ちとお財布事情の許します方に、ぜひともご支援を頂けましたら幸いです。
ツアーの様子はこちらのマガジンで連載して参ります。どうぞお楽しみに。
今後とも、それぞれの領分において世界を美しくしてゆく営みを、楽しんで参りましょう。
この記事を書いた人
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