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『玉葉和歌集』「夏」秀歌 梶間和歌選


『玉葉集』ことはじめ

和歌を詠む主たる層である貴族が政治の実権を握っていた平安時代と、彼らの見下してきた武士階級が台頭しどうにも無視できなくなった鎌倉時代以降。
歌人たちの生きる時代の変化に伴い、彼らの詠む和歌の歌風も明確に変化しました。

一言で表すならば、「悠長な気配がなくなった」というところでしょうか。

余裕のない詩歌などつまらない?
さて、どうでしょう。自らの存在やあり方を疑うことなく全身全霊で身の憂さを嘆いていられた平安時代の和歌を「いいねえ」と味わえるのは、
自己や世界を厳しく見つめ、相対化し、メタ認知する視点を手に入れた(手に入れざるを得なかった)中世歌人の和歌を知るまでのことではないでしょうか。


こちらで紹介したい『玉葉和歌集』の主人公、前期京極派歌人たちの生きたのは、鎌倉時代末期。
主流派である二条派とは異なる歌論、思想のもと強く結束した京極派歌人の活動は、『玉葉和歌集』『風雅和歌集』というふたつの勅撰和歌集に結実しました。

鎌倉時代初期の新古今和歌を「現実を越えた概念(イデア)の美の言語化」と表すならば、京極派和歌は「現実を冷徹に見つめたその先に見える美の言語化」とでも言えましょうか。
そのような言語表現をなさしめた歌論や思想、人生背景などにも触れながら、こちらでは前期京極派和歌の集大成である『玉葉集』「春下」巻の秀歌選をまとめて参ります。
「心のまゝに詞のにほひゆく」ようおのおのが試行錯誤した結果の百花繚乱咲き乱れた、個性豊かで朗らかな和歌集をお楽しみください。

梶間和歌の目を通して選ばれた『玉葉集』らしい和歌、『玉葉集』の秀歌、それらを『玉葉集』そして京極派和歌を味わう取っ掛かりとしてご利用いただけましたら幸いです。


すべてではないものの、然るべき歌にはコメントを付すつもりですが、(と言いながら最近は引いたすべての歌にコメントしている……)
もとは私オリジナルの作品でも文章でもなんでもない他者の歌、そしてそれらの編まれたアンソロジーからの秀歌選。
当然無料記事として公開したいのですが、

noteの仕様上、無料記事として出しますと、
記事が加筆、更新された際にどなたにもその旨が届かない、その方の最初に見た瞬間までの記事しかその方には(おそらく)永遠に読まれない、

ということがございます。

これを避けるため、低価格ですが有料記事とすることで、購入者の方に更新の都度通知を飛ばす形を取らせていただきます。

『玉葉集』にほぼ初めて触れるという方には、「こんな歌があるのか」と知るための取っ掛かりとしてお楽しみいただきたく。
また、長年の梶間の読者様には、歌を選ぶ際の梶間の基準をおもしろがったり、添えたコメントから梶間の思想の理解を深めたり、といったところにも価値を感じていただけましたら幸いです。


基本は手元にあります次田香澄校訂『玉葉和歌集』(岩波文庫)を参照しますが、疑問のある表記は他の資料を参考しつつ改めることがあるかもしれません。

こちらにピックアップする歌のうち、その一定数については、過去にブログにて訳や解説をしております。
大変な数になりますため、すべてのリンクを貼ることはできませんので、
この記事で「この歌、いいな」「もっと知りたいな」と思ってくださいましたら、ぜひ梶間和歌ブログ「わたる風よりにほふマルボロ」でその歌を検索してみてください。
読みの浅かった昔の記事が出てきた場合は……どうか、笑って読み流してくださいね。

また、こちら有料記事ではありますが上記のとおり、もとが他者の歌のアンソロジー、あくまで私がそこから選びコメントを付した形になります。
スクリーンショットでの拡散は推奨できませんが、引用などはご自由にどうぞ。
これがきっかけで『玉葉集』の魅力を知る方の増えますことは、喜びでしかありません。


あなたの有意義な旅のお手伝いができますこと、心よりうれしく思います。


「夏」以外の巻の秀歌選を読む


『玉葉和歌集』「夏」秀歌選

花鳥のあかぬ別れに春暮れてけさよりむかふ夏山の色

「夏」巻頭は西園寺実兼。詞書は「首夏の心をよみ侍りける」。

すべての首歌の歌のなかで一番好きかもしれません。作者の心に結んだ景が読者の心にもしかと見えます。
惜春のおもいは残しながら、言葉のうえだけでも「夏には夏の良さがある、それに向き合おう」とする態度が潔い。

「向ふ」には、相対するとか向かってゆくとかに加えて、活用は異なりますが「迎ふ」も響かせているかもしれません。
掛詞の場合、活用の揺らぎは多く許容されますので。

これが「迎ふ」であり、かつ活用が揺らいでいないと捉える場合、四句切れさせることになりますが、
この歌は……四句切れではないと思う。

やはり、主たる意味は「向ふ」であり、これは連体形で結句を修飾している、四句切れではない、として、
合わせて掛詞として「迎ふ」の響きを受け取っておく、とするのが安全では。


大井川岩波はやく春くれていかだのとこに夏ぞ来にける

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