議論の元々からそれすぎじゃね?&疑問~ハンコ編~
どうも!おはようございますからこんばんわ!まで
ここ最近ハンコ不要論がニュースで盛り上がっていますね。例えばこんな感じに
また例えばこんな感じに
ん?なんか話のそもそも論からそれているんじゃね?って思うんですよね。そもそも論のスタートとして、ハンコの存在意義が問われるきっかけとなったのは新型コロナウィルスを契機として多くの企業が取り入れるようになったテレワークです。テレワーク導入プロセスの過程で、決裁を経るためにハンコを貰いにいかなければならない非効率さと密集による感染拡大を防ぐ目的という点からハンコの存在意義が問われるようになりました。しかし、今行われている議論を見ていると単にペーパーレス化を推し進めるための邪魔をしているのがハンコでハンコを悪者に仕立てているのではないかという印象を持ちます。
私自身はハンコ議連が言っているようなハンコは文化みたいな論調を言うつもりはありません。ただ、ハンコを悪者に仕立てる過程の中でこの問題についてどういう回答を示すのかが疑問です。1つは文書偽造の罪です。
刑法159条の私文書偽造罪は次のように規定されています。
第百五十九条 行使の目的で、他人の印章若しくは署名を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画を偽造し、又は偽造した他人の印章若しくは署名を使用して権利、義務若しくは事実証明に関する文書若しくは図画を偽造した者は、三月以上五年以下の懲役に処する。
2 他人が押印し又は署名した権利、義務又は事実証明に関する文書又は図画を変造した者も、前項と同様とする。
3 前二項に規定するもののほか、権利、義務又は事実証明に関する文書又は図画を偽造し、又は変造した者は、一年以下の懲役又は十万円以下の罰金に処する。
実際法的効果をもたらす文書を作成する際、文面上当該権利を行使したい人や事実証明をしたい人本人と実際の人間が=である証明として手っ取り早い性質がハンコ(刑法159条の条文で言う印影)にはあると思います。文面上の本人と実際の人間が=でない場合、偽造したのではないかという疑念が生まれます。仮に、ハンコを無くしてサインに変えたとしましょう。サインの筆跡と文明上当該権利を行使したい人や事実証明をしたい人本人の筆跡に差異が無い場合、代理行為として行使する場合でなかったら、実際にサインが文明上当該権利を行使したい人や事実証明をしたい人本人と=でなかったら、誤った権利行使が平然と行われる社会になるのではないかと危惧しています。
もう1つは法務省が打ち出している婚姻届・離婚届のハンコ不要です。
画像は東京都オリジナルの婚姻届ですが、婚姻届の基本となるフォーマットは法務省のホームページ(リンクとして紐づけているURLは夫の氏を名乗るバージョン)にPDFデータとしてアップロードされています。ご覧いただいて分かるように、届出人証明押印の欄がありそこへ署名とハンコを押します。私が疑問としているのは民法742条と民法747条の規定です。
第七百四十二条 婚姻は、次に掲げる場合に限り、無効とする。
一 人違いその他の事由によって当事者間に婚姻をする意思がないとき。
二 当事者が婚姻の届出をしないとき。ただし、その届出が第七百三十九条第二項に定める方式を欠くだけであるときは、婚姻は、そのためにその効力を妨げられない。
第七百四十七条 詐欺又は強迫によって婚姻をした者は、その婚姻の取消しを家庭裁判所に請求することができる。
2 前項の規定による取消権は、当事者が、詐欺を発見し、若しくは強迫を免れた後三箇月を経過し、又は追認をしたときは、消滅する。
民法第739条,戸籍法第74条を根拠として婚姻をする際に必要な届とされている婚姻届で、普通の感覚で言えば民法742条に規定する無効や民法747条の取消は考えにくいと思います。しかし、婚姻届から押印が不必要となった場合、その婚姻が当事者の意思の下で届けているか分からないケースがあるのではないかと思います。例えば、民法747条で規定されている強迫が原因で無理やり提出されたりとか。
ハンコが法的効果をもたらす文書を署名する際の担保のような役割を少なからず担っていた側面の議論なしで拙速なハンコ不要論が湧き上がっている今、改めてハンコが効率化の阻害となっている部分と少なからず本人という証明を担保している役割について議論しなけば、真の意味でハンコと向き合えないと思うのですが、皆さんはどうおもいますか?