見出し画像

実朝の和歌

菊花の和歌について続きを書きたいのですが、今日は大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で実朝の和歌、都の藤原定家の名前が登場したので、少しだけ著書から実朝の和歌の解説を紹介したいと思います。

七夕の日の鶴岡八幡宮


 
谷知子・島村輝編『和歌・短歌のすすめー新撰百人一首』(花鳥社)に撰び入れた実朝の和歌は次の一首です。今日のドラマにも(三善康信が和歌を教える場面)にこの和歌が登場していましたね。
 
宮柱(みやばしら)ふとしきたてて万代(よろづよ)に今ぞ栄えん鎌倉の里          
(鶴岡の宮に厳めしく立派な宮柱を立てて、今より万代にわたり栄え続けてゆくことだろう、この鎌倉の里)
              
鎌倉生まれの鎌倉育ちのゼミ生栃原さんがこの和歌の解説を書いてくれました。卒論ももちろん実朝です。解説を引用します。
 
(前略)興福寺南円堂を建てたときに春日大社の摂社榎本明神が詠んだという歌「補陀洛(ふだらく)の南の岸に堂たてて今ぞさかえむ北の藤波」(『新古今集』神祇・一八五四・春日榎本明神)を本歌としています。春日明神の加護によって藤原氏が栄えるだろうという本歌を、八幡神の加護によって鎌倉が永久に栄えることに転じて詠んだのです。
 
初句の「宮柱」は、鎌倉にある鶴岡八幡宮社殿の柱のことです。「宮柱ふとしきたてて」という表現は、『万葉集』(巻一・三六・柿本人麻呂など)にある用例に学んだのでしょう。「万代に栄えん」は、帝や朝廷を言祝ぐときに用いられることがほとんどですが、実朝は鎌倉の里、鎌倉幕府や将軍である自分の治世の永遠を祝うことばとして詠んだのです。
 
さらに、次の実朝の歌の引用が続きます。

君が代も我が世も尽きじ石河や瀬見(せみ)の小川(本書54番鴨長明参照)の絶えじと思へば 
  
この続きは、是非、谷知子・島村輝編『和歌・短歌のすすめー新撰百人一首』(花鳥社)をお読みいただければと思います!
 
実朝が泰時に贈った和歌

春霞たつたの山の桜花おぼつかなきを知る人のなき

は、柳営亜槐本金槐集の詞書には、「初恋の心を」とあります。竜田山といえば紅葉ですが、霞、桜を詠んでいますね。この歌についてはまたいずれ。


いいなと思ったら応援しよう!