「へぇ」と思った時程に、意識的に違うんじゃないかと思うようにしてます。
相手に受け入れられないような大きな要求をするような事から入って、その後のもう少し小さくした要求を受け入れ易くするドアインザフェイスの話を聞いて「へぇ」となり、相手が簡単に受け入れられる小さな要求をまずは受け入れてもらい、その後に少しづつ大きな要求にしていって大きな要求を受け入れ易くするフットインザドアテクニックを見ても「へぇ」となりますよね?
両方知らないケースだと、誰かにどちらか片方の話を聞いて、このやり方は心理学的に実証されているから試してみた方が良いと言われると、「へぇ」となって試してみたくなっちゃう気がします。
特に自分にとってその方法が都合が良い時程に。
見た目が9割の本も、話し方が9割の本も、どちらかだけ読むと「へぇ」になりますし、自分にとって都合の良い本を好んで読んでしますような気がします。
タイトルの段階で「見た目が9割の訳が無い」「話し方が9割の訳では無い」ぐらいの否定をしてから読み進め無いと変な思い込みが出来てしまうと思うんですよね。
自論に対しても同じで、自分で「これが正解だ!」と自信が有る事ほどに「違うかもしれない」を考えるようにしないと、どんどんと考えが凝り固まった「思い込み」が出来てしまう気がします。
殆どSNSなんて見て無い状態から3年ぐらいTwitterをやってみて、少しYouTubeも見るようになって、このnoteもやってみて、炎上やら誹謗中傷やらの話題を見る度に様々な角度からこの「思い込み」が怖い事を思い知らされます。
多分、僕もどうしようもなく凝り固まった「思い込み」が有る気がします。
その「思い込み」が間違ってるかもしれないし、間違って無いかもしれないし、時代や置かれた立場などによって正解や不正解が変わるかもしれない。
そんな事を意識することを忘れないように!
なんとなく、今、思っている事を備忘録代わりにnoteに記しておこうと思ったお休み明けの風俗店員。
今週が皆様にとって良い一週間になりますように!!!!