4℃を叩いてるのは「おばさん」と「風俗嬢」というタイトルの記事を途中まで見た
今年もクリスマスシーズンがやってきた。クリスマスの風物詩と言えばそう、プレゼントの4℃を叩くアカウントや反論するアカウントを「女」「男」「おばさん」「風俗嬢」「若者」などと簡単に注目を集められるカテゴライズをして分析もどきをするアカウントだ。
一足早くクリスマスシーズンへの助走を始めるアカウントも現れた。わざわざ4℃の公式WEBサイトを来訪し、クリスマスコレクションをスクショし叩く一つのアカウントを例に、あたかもそれが多くのそのアカウントの属性の多数で有るかのように見せる。2か月も待てない。今すぐ暴れさせろと言わんばかりのボルテージだ。
さて、そんなわけでTwitterでは“誰か”の価値観をカテゴリー訳した“誰か達”の価値観にして否定するとある程度の注目を集められ、その注目で承認欲求を満たし、さらに金儲けまでを試みる人が多いが、果たしてその言葉は本心から言っているのか、承認欲求の為なのか、金儲けの為なのか?
実のところ、記事のタイトルのような極端なカテゴライズをする人はそんな極端なカテゴライズでは無いと分かっている人も多い。
それではなぜ、Twitterでは極端なカテゴライズをするのか。
はっきり言ってしまえばTwitterがそんな極端なカテゴライズをした事を書かなければ見向きもされない人が、そのような手法を取る事によって注目を集められる唯一の居場所になってしまっているからだ。
そして、ここから先をお金を払わないと見れないようにして金儲けをする。
ある程度のそれらしいカテゴライズさえできれば、承認欲求と共にお金儲けもできるのだ。
そう、このように持論を断言する事も大事なのである。あたかも自分もそうであると信じているかのように。
そして、上記のような倒置法的な言い回しは、少し文章が書けると思わせるのに効果が有る。○○コンサルタントのような立場を名乗る方が専門知識が有ると思わせる為に業界内で使われる横文字を多用するような感覚だ。
更に、上記の様な下手くそな比喩も有効で有る。
書くのが面倒になってきたので最後に記しておくが、このような誰か、誰か達を揶揄するかたちを取る事が、居場所を無くした、彼ら、彼女らにとって、注目を集める為の唯一の手段となっているので有る。
風俗店員として働いてるので注目を集める為に「風俗嬢」と一括りにしたかたちで揶揄された感じの記事を見るとモヤっとするのでなんとなく書いちゃいました(^-^;
大変失礼致しましたm(__)m
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