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GLASS HEART番外編「グレーテル」【新作/無料記事】

筋トレ的な掌編。無料公開です。

※都合により予告なく公開終了することがあります。


グレーテル



「ねえ高岡君、もしも僕がある日いなくなったとしたら……」
 と、不意に仮定の話を始める。無軌道。だいたいいつものこと。
 平穏な、調和のとれた、予想のつく話なんて退屈だけど。
 そう言えばつけあがるんだろうな。
「どうやって僕のこと探す?」
 助手席で眼鏡をはずして眼鏡の組成物をたしかめるようにレンズを透かして、藤谷が言った。
 黄昏の時間帯、首都高速は渋滞ぎみで、タウンエースは新宿の手前でひっかかる。煙草が欲しくなるが、喫わずにいられる程度の軽量のいらだち。
「その質問の目的はなに?」
「僕のこと見つけやすくしたほうがいいなと思って。ヘンゼルとグレーテルが道に小石を落としたみたいにさ」
「それはなに? 俺への親切?」
「え? 俺のためだよ、俺の必死さだよ。打てる手は打ちたいんだよ」
 馬鹿げてるなと思ったから、戯言にはつきあわず、一気に結論だけを言った。
「いなくならないで」
 シンプルな要請をうけとめた藤谷が、ちょっとだけ困った顔をする。
「わかった? いなくならないで」
「わかってるよ。でもさ」
「でもなに」
「でも今日高岡君は俺のこと見つけたよね、僕が迷子になってたら来たよね、なんか、埼玉県の、端っこのほうまで」
「そうね」
「そういう高岡君の所業は棚にあげちゃうんだ」
「俺に責任転嫁したいの?」
「責任転嫁はしないけど恰好いいと思っちゃってるよ」
「癖になりそうでまずいの?」
「そうかなあ、そんなのいまさらなんだよ、高岡尚っていう名前の沼にどっぷりつかってるからさ僕なんか。でもまだ新規に恰好いいと思う余地があるのがすごいし、癖も上書きされて重症化するのかもしれない」
「だったらひとりで帰ってきて」
 いなくならないで、よりは、こちらのほうがまだ健全な言いぐさだったと、口にしてみて気づく。
 お互いずいぶん大人のはずなのに。
(消えて無くならないで。塵や煙みたいに)
(かたちのないものみたいに)
(音楽みたいに)
 コドモじみた初期衝動、鳴らして、生きてるから、いつまでも変わらない。
「そうだよね」
 藤谷が、ゆるく笑ってつぶやく。
「努力します」
「おまえを見つけるの簡単だけどね」
 自分の心許なさを自覚して、すこしうろたえて、だから本当のことを口から零している。
「各地のファンが見つけてネットに書きこむ」
「そうなんだ?」
「『藤谷直季』『歌ってる』で検索」
「俺テン・ブランク作って有名人になれてよかったなあ!」
「その喜びかたは不純でしょう」
「高岡君に見つけてもらうのが好きなんだよ」
 藤谷がするりと滑らかに言う。
 こいつは俺よりも大人なのだろうなと思う。
 こちらはそれほど素直に手の内を開示できないままで。
「あなたが歌っていれば、見つけられるよ」
 せいぜい、この程度の譲歩しかできず。
 だけど満足なカードを引き当てた表情で藤谷が、小さく笑う。
 そして歌いだす。
 薄紫の落陽をスポットライトのかわりに浴びながら。
 たったひとりのための歌を。





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