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GLASS HEART番外編「アイオライト」【新作/無料記事】

らくがき的な掌編。無料公開です。

※都合により予告なく公開終了することがあります。


アイオライト


 雨はぱらついていたけど風のほうが猛烈だったんだ、だから傘はささないで、スクランブル交差点を急いで渡ろうとした、渋谷のハチ公前の大規模な人間の流動現象、
 僕はふだんから視界が悪い、目が悪いせいもあるけどひとの足元や背中に音階をさがす癖がある、個々に特徴的な韻律、スクランブル交差点満杯の靴や傘でメモリは手一杯だ、
(ひとの顔を見るのは怖いな)
(情報量が多すぎて飽和する)
 愛が足りないのかな?
 この街を占める何万人の、ひとりひとりを愛しきれていない?
 僕の音楽を何億人にさしだす覚悟とか、
(おのずから鳴りだす音、それ自体を愛だと思っているけど)
 大丈夫、僕は、
「あっ!」
 横断歩道の真っ正面からこっちにむかってきたレインブーツのだれか、だれかじゃない、びっくりして傘をうしろに落としそうになった西条朱音、交差点の中央で僕と偶発的にでくわして、あっと叫んで次の瞬間には僕の手をつかんで点滅する信号の方向へ走りだす、僕にとっては来た道をもどる方角。
「ええ? 朱音ちゃん俺が逆なんだ?」
「そうです、逆向き! スタジオはあっち!」
「そうなの? ごめんね、ありがとう」
「先生傘は?」
「傘でメリー・ポピンズみたいに飛びそうだったから」
「飛ばないです」
 菫色の花が大きく描かれた華奢な感じの傘、西条朱音が僕に渡してくれる。ああ壊せないな、と僕は緊張する。どれほどの風が吹きつけても護りとおさねばならないたぐいの傘。
「ねえ僕相合い傘の経験値低いんだよ、僕に持たせていいの?」
「経験値あげるのはいいことですよね」
「余裕だなあ」
「余裕なのかな」
 西条朱音が首をかしげて言う、だいたい余裕で僕が負けるよ、自業自得だけど、
「僕は朱音ちゃんをあらゆる雨粒から護りたいんだけどたぶんうまくいかないよ」
「すごいいいこと言われた感じする」
 ふふふと西条朱音が笑った。
「でも西条、砂糖とかじゃないから濡れても溶けないです」
「うちのドラマーに風邪ひかせたら責任重大だよ」
「その理屈がわかるんだったらうちのリーダーこそ傘持って歩いてください!」
「ほんとにそうだね。ごめんね」
 不器用な相合い傘で、のろのろと僕らは前へと進む。
(傘の柄を握る指先から)
(閃光みたいに音は来る)
(雪崩をうった細密なネオンサインの集積)
(ちかちかと水晶体にまといつくプラズマ)
(傘なんかパラボラなんだ、宇宙の波形を受信する)
 大丈夫、僕は、
「邪魔するわけじゃないんですが、センセイ、傘いります?」
 僕らの背後に追いついてしまった源司さんが、とても親切に折りたたみ傘を振ってみせた。
「邪魔だよ!」
 僕は源司さんの優しさに甘えて、そう答える。
「すごい名曲の作曲中なんだよ!」
「だろうなと思いました」
 源司さんが折りたたみ傘をひっこめて、そう言ってくれた。ごめんなさい。
「あのさ朱音ちゃん、僕が作曲中って言ったとたんテンション変わったよね、いますぐ食わせろって囓られるのかと思った」
「ばれた……」
 西条朱音がちょっと手で顔を隠した。白状するみたいに言った。
「欲張りなんです西条」
「そんなの知ってるよ」


   菫青石(アイオライト)の花をさがしてる
   僕の手に運命をゆだねる船の舵
   パラボラを東の星にむけて傾けたらさ
   未来世界の電報みたいにきみに届く
   この雨の響き
   この声の響き
   うつくしい夜想曲の断片……
   さみしくないように
   おやすみと囁いて
   たとえ僕ときみの座標が北極と南極でも
   明日の地図をなぞる僕たち






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若木未生(小説家)
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