なりたい、やりたいを実現し妊娠へと導く【妊活プランナー】が誕生するまで#29

若返り鍼灸師の山田和宏です。
ご観覧いただきありがとうございます!

高校を卒業後、理学療法士の学校に入るために受験勉強をスタート。

現場で働く事で目標を忘れないために働き出したさなか、交通事故に遭い、その後職場をクビになります。

この出来事から、腕一本で稼ぎだす治療家の道へと進む事を決めたのでした。

時は西暦2000年、サッカー日韓ワールドカップの年。20歳も目前です。

#28の続きです。

整形外科の勤務で出会ったカイロプラクティックの先生から、母校を紹介していただき学校に通う事になっていきます。

カイロプラクティックは国家資格ではありませんが、本番アメリカでは医師以上の立ち位置だという事に魅力を感じ、

またはじめての解剖学や生理学などの医療系の勉強は、とても新鮮で面白かったです。

しかし学費は、国家資格なみの費用が掛かりますから、自分で支払える様にバイトの量を増やし朝から夜中まで働いていました。

またそんな生活ですから、当然勉強がはかどりません。

解剖学や生理学のテストでは毎回赤点で追試。

手技の実技テストといっても、ひとまず合格をもらうも、できているのかいないのかさっぱり。

再び、何もできない自分に対しての劣等感を感じます。

当時、付き合っていたMから働き出したら同棲をしたいという話が出ていたので、お金を貯めなければならなくバイトを辞める訳にはいきません。

とにかくお金がなく、当時マクドナルドのハンバーガーが60円というキャンペーンをやっていたことと、

ちょうどカイロプラクティックの学校の下にマクドナルドが有ったということもあり、週5でハンバーガーを食べていました。

学校といっても身だしなみの事については、とくに制限はなく、

当時ビジュアル系バンドが流行り出していたこともあり、髪の毛を車の色に合わせて赤、メガネまで赤にしていました。

若気のいたりというのは恐ろしいものですね。

数年後に成人式の時の写真を見た時、自分の姿にギョッとした思い出があります。

成人式のあと、髪の色が赤なのは目立ちすぎるかなと思ったので、今度はブルーに染め直しました。

成人後はいよいよ同棲話が本格化したので、さらにバイトを増やして、4つアルバイトを掛け持ちしだします。

オーバーワークになっていたのかもしれません、バイト中に指を切り、少し出血量が多かったのを見た瞬間に気絶し倒れてしまいました。

小学生の時の出血多量で死に掛けた経験がフラッシュバックし、おそらくショック症状を起こしたのでしょう。

直立した状態からそのまま後ろに倒れてしまったので、後頭部を強打し再び鞭打ち症になってしまいました。

痛みと恥ずかしさで、そのバイトは辞めることに。

また別の大手飲食チェーン店で働きだしますが、バックヤードのあまりの不衛生さが嫌で、働きだして半日で辞めてしまいました。

それでも何とか仕事をしないといけないので、高時給を求めてカラオケ屋で夜のアルバイトを始めます。

親友の裕詞を誘い、一緒に働く事にしました。

そのバイトが休みの日には、裕詞と周平と、港の埠頭にドリフト練習をしに行き、運転操作を失敗し車の足回りが大破させました。

それでも、皆んなで一緒に壊れた車の部品を探したり、自分達で治すのはとても楽しかったです。

何とか治して一安心したのは束の間。

今度は回転寿司屋の仲間達とボーリング場に遊びに行った際に、

ローンを支払い終わったばかりの愛車、スカイラインが置いておいた場所に無いのです。

有ったはずの物が無くなると、点線でその形が描かれている、そんな描写を漫画で見たことはありませんか?

まさにそれが見えました。

愛車の盗難に遭ってしまったのです。

次回に続きます。

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