なりたい、やりたいを実現し妊娠へと導く【妊活プランナー】が誕生するまで#32
若返り鍼灸師の山田和宏です。
ご観覧いただきありがとうございます!
お金も仕事がなく困っていた私に、チャンスがやってきました。
しかし正社員でもなく、補償も一切無い個人事業主のセラピスト。
このチャンスを掴むべく、必死で研修を受けて卒業試験に挑みます。
#31からの続きです。
研修の卒業試験、全員合格をするものだと思っていたら、落とされる人も居ました。
前回の話で出てきた、気弱な60代のオジサンや、他の気弱そうな人達も練習の成果が発揮ができずに不合格になりました。
私は稼ぐために、2週間みっちり準備してきましたので、あっさりと合格です。
でも成人してから、はじめて社会人としてのスタートを切れることがとても嬉しく、やり抜いた自分を誇らしく思いました。
そして絶対に店で指名ナンバーワンになってやる!!そう決意し、帰路につきました。
三重県の長島スパーランドの夏休み時期は、死ぬほど人がいっぱい来場します。
ジャンボ海水プールがあるからです。
合わせて、ちょうどスチールドラゴンというギネスに載ったジェットコースターが開業したばかりでしたので、
連日凄まじい人数が、私の職場のマッサージルームにお越しになられます。
とにかく連日、人の足裏をマッサージ。
指にタコができても、ひたすら指の痛みに耐えながら足裏マッサージする事で、あっという間に指の骨が変形しました。
その骨の変形は20年経過した今でも残っています。
とにかく最初の半年はひたすら必死にやるしかなく、指の痛みに耐えました。
10月になり閑散期を迎えると、一気に人が少なくなります。
ボディマッサージの方が人気が高く、人手が足りなかったので、今度はボディマッサージの研修を受けに再び東京へ行きました。
マッサージは専門学校時代に覚えていましたから、会社内のみ有効な資格を取るためだけに研修を受けにいっただけです。
研修を終えて、今度は職場でマッサージの技術を磨きました。
そして冬休み、正月を迎え、世間の大型休みは鬼の様に忙しい繁忙期となり、そこで担当させていただいたお客さんから、1人また1人と指名をいただける様になっていきます。
さらに稼げれる様に、閑散期に入ったところで今度はタイ古式マッサージの社内資格を取りました。
当時、まだ日本でタイ古式マッサージをやっているお店は少なく、情報雑誌のTOKAIウォーカーの記事にも出た事があります。
セラピストの仕事を始めて8ヶ月目辺りのGWで、30人ほどいた同店舗のセラピストの中で指名数1番を獲得し、入社時の目標を達成する事が出来ました。
この時22歳、根拠はありませんが、自身に満ち溢れて怖いものは無いぐらいなっており、
山ちゃん生意気だよね〜
なんて、年上の同期の人から言われたりもしていました。
なぜこんなに頑張っていたのか。
同棲相手の看護師Mから収入が低い事をチクチクと言われ続けていた事と、
やはり、お金が無ければ人は死ぬしかない、大切な人を守ることが出来ない。
お金がないと見下され、価値が低い人間として扱われると思っていたからです。
必死で朝から夜遅くまで働き、月収は50万に到達する様になっていったのです。