なりたい、やりたいを実現し妊娠へと導く【妊活プランナー】が誕生するまで#41
柔道整復師の国家試験、試験当日までの3ヶ月は人生で初めて死ぬほど勉強をしました。
果たして結果はどうなり、その後どうなっていくのでしょうか?
#40からの続きです。
学校を卒業したら、麻友子と結婚式を挙げるという約束をしていました。
何が何でも、試験に落ちる訳にはいかなかったのです。
だから血便が出るまで、追い込んで勉強をしていたのでした。
結果は、自己採点通りの合格!
自分を誇りに思いました。
人生で初めて、自分の立てた目標を達成し、やり切ったからです。
俺ってちゃんとしっかりとやれば、意外に出来るんだな。もっと勉強やっておけばよかったなと思いました。
しかし、これは自分の為だけだからではありません。
人のためにだったら、自分はやれる人間なんだという事に気付きました。
でも麻友子には、もう3年、結婚するのを待ってくれないかと頼み込みました。
国家試験は合格しましたが、何年後かを考えると、将来の先行きに、絶対的な安心感は得られる事が出来なかったからです。
鍼灸師の資格を取らせて欲しい、それまで式は待って欲しいと伝えると、とても難色を示していましたが、
いつか必ず困る日が来てしまう、それでは家族を守る事ができない。
それを回避する為には鍼灸師の資格が絶対に必要になる時が来る。
そう理由を伝えて、悩んだ結果、鍼灸師の資格が取れた翌日に必ず結婚式を挙げるという約束の元に納得をしてくれました。
この選択は、2人にとって本当に正解だったと、今でも何度も思います。
同じ学校に、今度は鍼灸師の学生として入学し直し、再び3年間の学生生活がスタートしました。
貯めていた学費は30万円になってしまいましたので、朝は接骨院で仕事、昼は学校、夕方からはまた接骨院に戻り、その後はネットワークビジネスです。
接骨院の仕事は、1日平均100名以上の患者さんが来院する様な職場でしたので、1年間で約1万人の施術をこなしていました。
求められるのは、施術の結果と時間の短縮、これに合わせてカルテの作成と保険の請求業務、掃除です。
一年半年を過ぎた辺りで、だいたい接骨院業務は把握したので、自分の柔道整復師の免許を使って平成20年の9月に自分のお店も開きました。
朝:修行先の接骨院
昼:鍼灸師の学校
夕方:修行先の接骨院
夜から深夜と、土曜の午後と日祝日は自分の接骨院で、その後にネットワークビジネスです。
しかしこの自分のお店を持つ事により、ネットワークビジネスで得た栄養学と体質改善の知識と、整体を組み合わせる事によって、
再びネットワークビジネスで結果を出す事に繋がっていきます。
今度は裕詞を含め、親友達や後輩達も参加してくれる様になっていき、組織が徐々に拡大し、報償旅行でグアムにも招待されるまでになっていきました。
自分の接骨院では、交通事故に遭ったにも関わらず、仕事の都合で治療に通えない人達が一定数居ると考え、
ベットが一台しか置けない様な1Kのアパートで、午後9時から深夜2時の営業時間。
これが大当たりで、28歳になる頃には月商が180万にもなっていました。
AM3時半まで活動し、AM6時に起床。
さすがに時折、寝坊します。
仕事先の院長先生から、寝坊しない方法を研究してレポートを提出しろと言われました。
こんな生活を3年間繰り返していたので、麻友子といつ会っていたのか、本当に記憶がありません。
若かったから出来た事だと思いますが、よくやれていたなと自分で思います。
自分の考えたビジネスモデルで稼げれる様になった事が、本当に楽しかったのでしょうね。
そしてまた、鍼灸師の国家試験が3ヶ月後に近づいてきました。
結果はいかに?
次回に続きます。