なりたい、やりたいを実現し妊娠へと導く【妊活プランナー】が誕生するまで#18
楽しかった中2が終わり、中学生活、最後の1年を迎えます。
フラれる事もあり、殴られる事もあり、青春真っ只中です。
#17からの続きです。
中学3年の始業式、クラス分けが下駄箱に張り出されています。
A組、クラスメイトの名前は元々仲良かった子ばかり、そしてまたYさんと同じクラス。
ガッツポーズをして、よっしゃ!!!
と思わず叫んでいました。
担任の先生は、中1の時と同じ先生。
そこは、また強烈なビンタが待っているのかと思うと、ちょっとビビります。
そしていきなり春の実力テスト、さすがは3年生。
相変わらず勉強嫌いな私は、学年での順位は下の上ぐらい、いや下の中ぐらいかもしれません。
今までの通知表も、だいたい2の羅列に、時折1がある感じです。授業態度は悪く無いのですが、基本的に宿題をやっていかないからです。
やはり3年生、進路の事が話に出ますが、私は小さい会社ですが父のやっている町工場を継ぐつもりでいたので、何も考えていません。
今思うと、A組のクラスメイトは、勉強が出来る子、運動が得意な子、勉強は得意ではないけど生活態度が良い子がバランス良く集められていた気もします。
それぞれの長所で、お互いに刺激がある様にと考えられていたかもしれませんね。
しかし短所ばかりの私。
母は学力的にちょっとマズイなと思ったのでしょう。地元の通いやすい塾があるからと、行かされる事になります。
そこに来ていたのは、昔からの友達、小学校からの同級生ばかりで、最初は楽しいかもと思いましたが、全員、学力優秀の方のメンバーです。
部活の卓球は下手なりに真面目に取り組んでいましたので毎日クタクタ、
塾に行きたくなかったので、いつも熟睡しているふりをして狸寝入りをしていました。
その塾は、行くと最初に課題を出されて、生徒が答えを発表するといのが毎回の流れ。
それが終わる頃の時間を見計らって、起きて塾へと向かうのです。
そんなんですから、当然、学力の差はさらに広がっていきます。友達達はどんどん順位が上がっていく中、私は勉強が苦手という劣等感が、より強くなっていきます。
ある時、行ったフリをして外で時間を潰してしまいました。
1回やってしまうと、2回、3回と続き、それから結局行きづらくなってしまいました。
この時の事は、今でもたまに夢に見ますが、その夢だった日の朝は、めちゃくちゃ後味が悪いです。
当時もよっぽど後味が悪かったのでしょうね。
一度ズルをすると、一生後悔する事になるのだという学びになりました。
勉強の事は劣等感がたっぷりですが、人生ではじめての告白をされたり(忘れられない人がいるのでとお断りしました)、
修学旅行で一緒に東京を周った、クラスメイトの女の子と電話をしたりなどで、毎日の学校生活は楽しかったです。
中学生活、打ち込み続けた卓球部、引退前の最後の大会。
隣の中学は、卓球で全国大会を優勝するぐらいの強豪校。
個人戦の一回戦で、その強豪校のNo.1か2の子と試合になりました。
勝てる訳がない!
試合前からの諦めモード
でしたが!
Yさんが後ろで応援してくれると。
3年間磨き続けた必殺サーブで一矢報いるぞと挑みます。
結果は2-21
好きな人の目の前で惨敗しました・・・。
裕詞から、和のサーブは決まれば凄いのなぁ。
決める時に決められない、そんな自分に腹が立ちました。
どれだけ努力しても報われない事がある。
逆に報われない事に、努力と時間を使う事を二度としないと決意しました。
その代わり
決めると決めたら、絶対に諦めないという事も決意したのです、
夏休みに入る時、通知表で人生で最初で最後の『5』を、美術で獲得。
人それぞれの価値観によって、評価は変わるのだという大きな気付きく事になります。
そして、3度目の文化祭と体育祭。
同じ指導者、約三分の一が1年生の時と同じ総合優勝を経験したメンバー。
勝てない訳がないと確信します。
果たしてどうなったのでしょうか?
次回に続きます。