なりたい、やりたいを実現し妊娠へと導く【妊活プランナー】が誕生するまで#43
鍼灸師の国家試験も無事に合格し、結婚式を挙げます。
仕事は順調過ぎるほど順調で、赤ちゃんも授かりますが、自分は幸せになっていいのだろうか?という思いがあります。
#42の続きです。
なんでこの様に思っていたのかというと、麻友子との間に授かった、産んであげる事が出来なかった赤ちゃんが心の中に居たからです。
2人で結婚をする事を誓いあった時に作ったペアリングには、その子の名前を掘ってありした。
2人を結び付けてくれた子
名前は『結』〝ゆう〟です。
この子を産んであげられなかった十字架を一生背負い、大成功をする事が弔いになると。
その犠牲の上に私達の幸せの今があると、私は思っていたからです。
俺がネットワークビジネスを続ける理由は、それなんだよと、いつも麻友子にはその事を言っていました。
2011年3月11日
東北大震災が起きます。
津波による犠牲者が出たニュースを見て、深く悲しみを感じると共に、人生の分かれ目って何なんだろうなと考えます。
妻のお腹の中の赤ちゃんは女の子だという事はわかっていた時期でしたので、
TVで福島の原発が爆発するのを見て、
放射能汚染が拡大していく恐れから、
娘は五体満足で無事に産まれる事はできるのか、赤ちゃんを授かれる能力を持ち合わせているのか、
もし重大な障害がある事がわかったら、堕すという選択をするのか。
本当に真剣に2人で悩みました。
でも、どんな体で産まれてきたとしても、結の分も含めて精一杯の愛情を注いでいこうと決めます。
6月に臨月を迎え、予定日を過ぎても赤ちゃんは降りてくる気配がありません。
予定日を2週間過ぎ、陣痛が起きて破水をしますが、子宮口が開いていきません。
ギリギリまで自然分娩を望みましたが、赤ちゃんの安全を考えて帝王切開を選択しました。
妻が処置室に入り、15分後、赤ちゃんの鳴き声が聞こえてきました。
無事に元気な赤ちゃんだろうか。
期待と不安が入り混じります。
程なくして、赤ちゃんを連れて看護師さんが部屋に入ってきました。
詳しい検査はあとからになりますが、元気な女の子ですよ〜。
今までの色んな思いが溢れ出してきます。
つらかったこと、悲しかったこと、亡くなっていった命
自分が父親になれた嬉しさ
両親が揃ってこの場にいてくれる嬉しさ
支えて続けてくれた人達への感謝
何より無事に産まれてきてくれた事と妻への感謝
この時ほど、人生が素晴らしく、幸せであると強く感じられたことは他にはありません。
どれだけ忙しくても、毎日会いにいき
妻と娘が家に帰ってくる事を指折り数えていました。
仕事は順調で、朝から晩まで予約が埋まってしまいます。
治療院を併設した自宅を建てる事を決めました。
実家には、父方の祖母と両親が住んでいますが、両親は別棟を立てていたので、
祖父は父が24歳の時、私が産まれた時にはすでに他界していたので、大きな母家に祖母が1人だけ。
祖父が立てた家を壊したくないという事で渋っていたそうですが、私が他の土地で探しているので、今決断しないと二度と帰ってくる事はないかもしれないよ。
と脅して、母家を解体する事を説得したそうです。
父方と母方と両方の祖母と一緒に暮らすスペースに併せて、治療院のスペースですから、かなりの大きなお家になります。
某有名ハウスメーカーで見積もりを取ると、母家の解体費用に500万、建物は6000万に届きそうな金額が出てきました。
銀行に住宅ローンが組めるか確認しに行ってみると、即答でお断りでした。
とある金融業の友人に、住宅ローンが組める限度額を教えてもらったところ、私は自営業でしたので、年収の5倍までしか借りられないという事を知る事になります。
6500万には到底届かない金額。
さて夢のマイホームはどうなっていくのでしょうか?
次回に続きます。