なりたい、やりたいを実現し妊娠へと導く【妊活プランナー】が誕生するまで#52
祖母との別れを覚悟し、ただただ感謝を胸に治療をする事によって奇跡を起こす事が出来ました。
その奇跡から、さらなる発展へと繋がっていったのです。
#51からの続きです。
祖母は意識を取り戻してから本当に元気で、たくさん笑って色んな事を話しました。
麻友子と一緒に桜を観に行き、キツイ階段を祖母をおぶって上がりきった所で、疲労困憊の私は祖母を落としてしまい、頭を強打したこと。
鰻が好きな祖母を、いかつい180SXに乗せて回転寿司屋さんにしょっちゅう行っていたこと。
帰ってくるのが遅いと、カーテン越しに外を除いて、私が帰ってくるのを待っていたのがバレバレだったこと。
祖母と一緒に暮らした6年間が、私にとって本当に素晴らしい思い出で、ばあちゃんが大好きだということ。
亡くなった後は、私が責任を持ってお墓を守っていくということ。
色んな怨恨はあるかもしれないけど、私達との良い思い出だけを持って旅立って欲しいということ。
もう成功する事は決まったから、何も心配する事はないということ。
ただただ安心してと。
うんうんと頷いていました。
やはりここでも、
〝良い人生だった?〟
と確認すると
あなた達のお陰で良い人生だったよと。
そしてそれから3日後、別れを迎える日。
私は患者さんの対応をしており、なかなか治療効果が出ずに納得が行くまで施術をしていました。
拉致があかないので、その日の治療は終了し、いそいで子供達を連れて病院に向かうと、
病院に着いた時には、ほんの5分前に息を引き取ったという事でした。
何も苦しむことなく、穏やかに最後を迎えたそうです。
いつかはこの日が来ると、覚悟を決めていたとしても、やはり最後はつらいものです。
無償の愛を注いでくれた祖母に、何度も何度も愛してるよ、大好きだよと伝えました。
私は大きな穴が空いてしまった様で、頭が回っていません。
母も全く同じ様でしたが、妻が本当に色々と動いてくれ無事に送り出す事が出来ました。
体質改善をして、100%の生活を目指していた時でしたが、
人生楽しまないと損だよな
と思い、寂しい気分を紛らわしたいという事もあり、5年ぶりにタバコを吸いました。
それ以降、人生を楽しむという事をテーマに生きていく様になります。
そしてちょうど1ヶ月後、施設に居た父方の祖母も危篤状態になりました。
亡くなる前日の、意識がまだ有る状態で話し掛ける事が出来たので、やはり私は
〝良い人生だった?〟
と聞いてみました。
祖母はもう言葉をしっかりと発する事は出来ませんでしたが、
力強く、うんうんと頷いていました。
翌日の朝、出張で横浜に新幹線に移動中に亡くなったと連絡が来ます。
お葬式を終え、火葬場に向かう途中、ずっと帰りたいと言っていた私の家に立ち寄り、業者さんは少しだけ車を停めてくれました。
私が自分の治療院を建てる事が出来たのも、祖母が祖父との大切な思い出の家を私に譲ってくれたからだという事に気付き、
ちょっと苦手な祖母でしたが、深い感謝が込み上がってきたと共に、
ごめんね、ごめんね、ずっと帰ってきたかったよねと強い罪悪感を感じました。
自分は色んな人達の犠牲と、支えの元に今が在る。
その思いを、次の世代にしっかりと渡していこうと思う様になりました。
出棺を終え、お骨になった父方の祖母の姿を見ると、しっかりと骨が残っていて、
長期入院した母方の祖母は、ほとんどお骨が残っていないのを思い出しました。
同じ歳、同じ様な時代を生きてきても、食事を最後まで自分で食べてきた人と、薬や点滴で栄養を入れて生かされてきた人では、
こんなにも違うものなのか。
これを世の中の人達に伝えていかなければいけないと思いました。
2人の祖母の人生、そして死が、私にたくさんの気付きを与えてくれ、今の私の生き方に繋がっています。
これを境に、どんどんとネットワークビジネスで結果を出して行く事となるのですが、
それが元に、人生で最大に悩む出来事が起きていくのでした。
次回に続きます。
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