月九第6回

短歌月九ネプリ 第六回『いつも字余りで』三首選

こんばんは。若枝あらうです。

1月からスタートしたネプリ「月九」…第6号は私が主演を務めさせていただいております。そんなタイミングで配信終了2時間ほど前にこんな記事を公開するというギリギリさですみません…。まだの方は是非、下記ツイートを参考にお近くのコンビニに駆け込んでいただけますと幸いですw

以下、三首選。

27枚の最後を決められず君と手ブレの夜を写した / 近江瞬『27枚の今』より

今日ではすっかりデジカメが主流になり、27枚撮りのフィルムカメラ(おそらく使い捨てカメラ)は何となくメランコリックなアイテムです。「手ブレの夜を写した」という過去形は、もしかしたらとても遠い過去のことなのかもしれません。(一首目と合わせて読むと、もしかすると今を詠んでいるのかもしれないとも思うのですが、人によって捉え方は違って良いのでしょう)
「最後を決められ」なかったことが、どうやって「君と手ブレ」につながるのか…という想像の余白を残しているところが、読者それぞれの青春を重ねられるようで良いなぁと思います。

送り火の煙がしみる目の奥にいつまでもある融けない氷 / 柏原十『新盆』より

連作のタイトルが新盆ということなので、何を表現しているのかに説明はいらないでしょう。というより、タイトルがなくてもこの首の言葉の並びだけで主体の状況は余すことなく想像でき、一首としても十分に独立した歌かと思います。あまり評で書くこともないくらいに、単語の選び方がうまいなぁと感じました。悲しみのなか、相手への思いを抱き続ける覚悟を感じる美しい歌だと思います。

焼酎ののちの放尿 霧雨になってもきみはきみであるといい / 西村曜

「焼酎」「放尿」「霧雨」という強い単語をざくざく並べながら、不思議と説得力のある読後感を持つ、印象的な一首だと思います。それらの単語はつながっていて、下の句では「霧雨」がさらに「きみ」とつながっていることが分かります。では、「焼酎」=「きみ」かというと、おそらくここに想像の余地があって、主体はどういう状況で「焼酎」と「きみ」をつなげたのか、そして厠に向かったのか。想像がぐるぐる巡るなかで「きみはきみであるといい」と畳みかけられるのは、なんとなく酩酊したような気分にもなります。


今回の記事は以上です。

今後も #短歌月九ネプリ をよろしくお願いいたします!

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