「おもてなし」と「もったいない」
日本人の美徳として、紹介される表題の2つの精神。
「共感しない」という方も少ないものだと肌感で感じます。
ただし、このふたつの哲学の間には大きな溝があります。
相容れない・・共存することについて矛盾があるのです。
僕たちが取り扱っている主力商品、「割箸」。
これは「もったいない」精神から生み出されたものです。
そもそも酒や醤油などを保存するために作られた「樽」を作る際に生じる端材が「もったいない」ので「箸を作ろう!」ということになり、地場産業になるまで発展しました。
一方で、「バラ利久」に代表される箸については、茶懐石の場面で使用されてきた歴史もあり、「おもてなし」の精神から生みだされたものです。
これは、一生のうちのたった一度きりの食事・時間を高尚なものとするためにもてなす側の主人が客人の為に1膳1膳手作りで箸を用意したことが始まりです。
さて、この10年来、外食産業についてプラスチックの箸に代表される「使い回しの箸」が台頭してきました。「割箸」に使用される森林伐採はけしからんという風潮とゴミの量の軽減の為です。その時に使用された文言として
「割箸はもったいないので、エコ箸(プラスチックの箸)を使用しよう!」でした。
「モッタイナイ?」もったいない精神で生まれた割箸がもったいないものに「変わって」いました。
「おもてなし」の精神側で考えるのであれば、一度きりの食事で使用される「割箸」は贅沢な物というか精神にのっとった存在です。
割箸→もったいない精神=排除すべきもの
割箸→おもてなしの精神=重視するもの
こちらの構図が現在のスタンダードではないか、と思っています。
ただし、先ほども書いている通り、今でも国産の割箸は建築材の端材や間伐された樹木で製造されているものがほとんどです。
少なくても 割箸=もったいない精神に反するもの の認識は本来であれば変なんですよね。
となると国産割箸は、「もったいない精神から生まれたもの」で、かつ「おもてなしの精神を体現するもの」になるわけですが、たぶん一般の方たちは「違和感」を覚えるのではないかなと感じます。
それくらい身近にみられる消費される割箸の量が目につくということです。ほとんどがコンビニやスーパーで見かけるのではないでしょうか。
「割箸論争」に終止符を打つきっかけになりそうなのは中食産業(コンビニ・スーパー)の割箸有料化です。
希望としては国産材を導入していただいて、各地域ごとの間伐材を用いていただくことができれば森とのサイクルが出来上がり、かつゴミの回収時に分別して森へ帰すことができれば美しいのですが、残念ながらインフラが整っていません。
製造もできないし、流通ルールも整えなくてはいけません。
僕にできることは、まず 声に出すこと。
そして、「おもてなし」の精神を大切にすることです。
一食、一食を大切にしてもらうことは、「もったいない」の源泉だったはずですからね。