「あたらしいことへの挑戦」というハードル
「これから新しい価値観の時代が始まる!」
「常に新しいことへチャレンジしろ!」
「最近の若者はおとなしすぎる!もっと外へ出ていけ!」
世の中が不安定になり、従来の価値観・ルールへの閉塞感が強くなっている昨今。打破するためのスローガンのように叫ばれる言葉たち。
まったくもってその通りなのではありますが、人によっては変化に対する凄まじいプレッシャーを感じたり、精神的な圧力のように思えたり、
「私は・・どうして変われないのだろう・・」
「自分はもう取り残されてしまうのだろうか・・。」とふさぎ込んでしまうケースも出てきそうです。
日常が変容することに対してストレスを感じてしまうことは誰もがあることです。今までやったことがないことをやるということはそれなりにプレッシャーがあります。僕だってあります。
「変わりたくて変わりたくてしょうがない!」
「もう今までのような自分は嫌だっ!」という「変わらないことへ対しての恐れ」をきっかけに新しいことに足を踏み出したりするパターンもあるのですが、
その分うまくいかなかったときに、ショックが大きくて動けなくなってしまったりもするかもしれません。
僕、こんなこと最近考えているんですよ。
本来、僕たちは自然に新しいことへ挑戦していた歴史があったのです。
記憶には残っていないのですが、息子の成長をみていると驚きの連続です。
ハイハイすることも新しい挑戦。ガラガラを振ってみるのも新しい挑戦。つかまり立ちも新しい挑戦。「言葉を喋ってみる」のも新しい挑戦。
毎日が新しい挑戦の連続なんだと思います。
食べるものもそうです。それが食べ物かどうかも分からないまま口に入れて味を覚えていく過程は目を見張るほどです。
(なんだこれは。食べてみよう。おお、これはすっぱいものなんだ)
なんだこれは→食べてみよう のスピードと良い意味での迷いのなさ。
これは「挑戦する」ということを「意識しているか」「意識していないか」と「楽しんでいるか」「楽しんでいないか」の違いだと思います。
「意識していなくて」「楽しんでいない」と挑戦にもならないし、結果もでません。
「意識していて」「楽しんでいない」と継続しづらくてストレスも大きいです。
「意識していて」「楽しんでいる」ときはプレッシャーもありますが、結果がでて充実感があります。
「意識しないで」「楽しんでいる」ときはノンストレスで成長する状態です。
ストレスを溜めずに挑戦をするためにどうしたらいいのか?
それはちょっとだけ頑張れば続けられる「挑戦」を日常に取り入れていき、
「挑戦」することを「日常」に組み入れてしてしまうことです。子供たちのように。
★コンビニで荷物を受け取るときに「ありがとう」って言ってみる。
★笑顔で歯磨きをしてみる。
★ひと駅分歩いてみる。
★トイレ掃除してみる
だいそれた決断や行動の変容は必要ないんです。
ちょっとした、わずかな「挑戦」「革命」を日常にすることで、爆発的な効果が出るんです。
あたらしい挑戦 へのハードルは無意識に超えられるくらいの高さがちょうどいい。
みんな、言葉やイメージに苦しまないで あるいてきませうよ。
埋もれてしまっている宝石がたくさんあるように思います。文化だったり、製品の場合もあるけれど一番は人間の可能性です。見つけて、発信してよりよい世界を共に生きましょう。