~日本の美しい原風景 (福島編)~
僕が仕事をしているモチベーションでもあり、生きているモチベーションにもなっていること。
それは 日本の「あたりまえ」の美しい風景を伝え、守ること です。
仕事を始めて半年が過ぎた10月のこと。意外とあっさり生きることへの気力を完全になくしてしまったんですよ。何が理由かすら今では覚えてないくらいだったんですが、完全にエンプティー。ゼロ。芥川龍之介ってこんな気分だったのかなというくらい沈んでしまった時期がありました。
「もういいや。だけどどうせいなくなるんだったら遠くに行こう」
無気力なままぼんやりと車を馳せ、何となく常磐自動車道を東北方面へ向かっていました。「最期の地」を探すため、いわき付近に来た時になんとなく高速を降りて、フラフラと気の向くままに田舎道を走っていた時のことでした。黄金色の大地が目前に現れたのです。
「え?なにこれ?」無気力に運転していた自分は夢でも見ているのかと驚いて車を停車させて凝視するとその原因が分かりました。
黄金に輝いていたのは収穫前の田んぼで、秋の太陽光に反射して穂が黄金色に光って見えていたのです。
あまりの美しさに車を降りて、見入っていました。下町育ちのもやしっ子です。初めて見る光景でした。
「最期にいいものみたなあ~」なお続く里山の美しい風景を眺めながら再び車を走らせました。少しずつ、心の中が変化していました。途中、滝を案内する看板があったので、そこを「目的地」にしました。
しばらく走ると看板が見えてきて、それまで走ってきた国道をそれて滝へと向かう小さな道に分岐しました。
小さな広場のような駐車スペースがあり、滝へは遊歩道を歩いてすぐのようでした。
土曜日だというのに、誰もいません。
音のする方へと足を延ばし、遊歩道を下っていくと聖域のような世界が広がりました。
遊歩道が川を渡る橋に繋がっていて、滝のしぶきが伝わってくるくらい近くで滝を望むことが出来ました。
滝の大きさは幅が15mほど。高さは10mほどの立派なものでした。
橋のすぐ下を清流が流れており、腰かけると足が川面へ着いてしまうのではないかと思うくらいでした。
あまりの美しさに橋げたに腰かけていると、小さな鳥が下流から滝へ向かって自分が座っている橋の下を抜けて飛んでいきました。
(なんだこれ!なんだこれ!)
あまりの非現実空間だったからか、全身に鳥肌が立つほど震えました。
空を見ると美しい青空がひろがり、時折心地よい風が僕の髪と同様に周囲の杉の葉を撫でていきました。耳を澄ますと足下を流れる清流の水の音が聞こえ、鳥たちが遊ぶ声が聞こえてきます。
1時間くらいでしょうか。そうして座っていたのですが、もうすっかりとあれだけ胸の中に巣くっていた「負」のエネルギーがなくなっていました。
自然に励ましてもらったようでした。立ち上がり、川の対岸へ歩いていくと楓の木が生えていて、傍を通った時に頭をなでてくれました。
(もしかしたら神様がここへ案内してくれたのかもしれない)
もう一度はじめからやりなおそう。辛い気持ちになったらここへ来たらいいんだ。
そう思い立って帰途についたんです。
それから僕の中の聖地として、たびたび訪れるようになったその場所。
その後、東日本大震災における原子力発電所事故の影響を受け、山の手入れが一時的に出来なくなったこと、その年の豪雨によって橋げたが流されてしまったことを受けて、数年間は訪れることができなくなりました。
震災の時は発狂しそうになりました。
「こんなに美しい自然を人の手で、僕たち人間のせいで汚してしまった」と。
さらに数年たって復興が進み、橋げたも復旧したのですが以前のようなものではなくなり土砂災害の傷跡も消えることはありませんでした。頭をなでてくれた「友人」である楓も流されてしまっていました。
以前と同じように橋げたに腰かけ、変わらないものなんてないって切ない気持ちになったのをよく覚えています。
それでも広がる風景の美しさは東京ではとても見れないものです。
今でも自分が分からなくなった時に思い出す大切な場所。
それは、福島県の里山のなかにあります。
埋もれてしまっている宝石がたくさんあるように思います。文化だったり、製品の場合もあるけれど一番は人間の可能性です。見つけて、発信してよりよい世界を共に生きましょう。