ファーウェイ製のスマホから見つかったらしい”余計なもの”を想像する
僕は普段、国際情勢とかにはめっぽう関心が薄い人間なのですが、つい最近かなり気になるニュースを発見してしまったんですよ。それがこれなんですけど。
ヘッドラインだけ読んだらかなり不穏というか、まさにスパイ映画の世界でしか見たことないようなことを予見させるんですよ。ただね、この記事をよくよく読んでみると内容にかなり引っかかるところがあって。
与党関係者によると、「政府がファーウェイの製品を分解したところ、ハードウェアに“余計なもの”が見つかった」という
フワッとしすぎじゃないですか?
”余計なもの”ってなんか言い回しがチャゲアスみたいだし、っていう与党関係者って誰よ!まさか「消防署の方から来ました」的な言葉遊びじゃないだろうね。あたしゃよくわかんないよ。教えてよキートン山田さん。
そんなこんなで、このロマンあるニュースのことを知りたくて色々なサイトを回ってみたんですけど、やっぱりどこも”余計なもの”としか書いていないんですよね。ということは、やはりこれはファーウェイ側が主張するように全くの誤報だったのでしょうか?
いいえ、そうではありません。
懸命な読者の皆さんならすでにお気付きのはず。これは逆にこう考えることもできるはず「”余計なもの”が何かは明らかになっているが、何らかの理由で公表することができない」と。
お分かりですね?
では”余計なもの”とは一体何だったのか?僕なりに仮説を立ててみました。もちろん、それが公にできない理由にもしっかりとお答えいたしましょう。
仮説①:ボタン電池の間に挟まってる透明のシート
音が出たり光ったりするおもちゃなどを買うと必ず付いてるシート。遊ぶ前にこれを抜かないと音もならないし光も出ないので注意が必要。年末に大掃除をしていると数年に一回くらいのペースで部屋の隅の方からヒラッと出てくる余計なもの。大抵、薄くて軽いプラスチックでできているので、うっかりスマホの製造ラインの中に入り込んでしまっても全く不思議はない。
公にならない理由:くしゃみしたはずみでうっかり無くしちゃったから。
これ
仮説②:ビリーバンド
2007年くらいに国内で大流行した「ビリーズブートキャンプ」の映像内で行われるエクササイズの効果を最大限に高めることを目的として開発されたゴム製の補助器具。ゴムチューブの両端には吊り輪型の持ち手が付いており、両手両足への装着が可能。多種多様なエクササイズに対応できる設計になっている。なお、これが”余計なもの”と呼ばれるのはビリーバンドが余計という意味ではなく、スマホの中には必要ないという意味においてのみ。
公にならない理由:流行に踊らされてビリーズブートキャンプをしながら「ビクトリーッ!!」って叫んでいたと思われるのが恥ずかしいから。
仮説③:資本主義
中国にとっては余計なものなので海外へ処理されてしまったのでは?という説。なお、中国以外にもベトナムやラオス、キューバなどの国からの輸入製品からも資本主義が発見される可能性は非常に高い。もし資本主義がファーウェイ製のスマホの中から発見されたことが正式に日本国内で報道される際には「ファーウェイ製品から”欠陥品”が発見された」といった表現に変更されるでしょう。
公にならない理由:余計なものとはまだ断定できないから。
資本主義のamazonレビュー
仮説④:愛
人は愛ゆえに幸せなのか、愛ゆえに苦しいのか?愛の本質とは一体何か?神の愛、隣人愛、性愛、家族愛。様々な種類の愛が私たちを時に導き、時に狂わせてきた。人類の歴史とはすなわち愛の歴史でもある。しかし、その本質は誰にもわかっていない。愛は言葉か?行いか?はたまた幻想なのか?未だ愛を知らない私たちは、スマホの中から愛を見つけたことで再びその宿命的とも言える疑問へと誘われてしまった。深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ。
公にならない理由:人類を信じたいから。
愛ゆえに苦しんだ人
はい、というわけで以上が僕の仮説です。皆さんは愛・おぼえていますか。