「好き」と「切ない」は同時にやってくる
数年前まで、あるアーティストの大ファンだった。
曲が好き、歌声が好き、顔が好き、髪型が好き、仕草が好き、言葉遣いが好き、書く文字が好き、ファッションセンスが好き、体型が好き、歯並びまで(!)大好きだった。
ライブもたくさん見に行って、北は北海道、南は九州まで追いかけていった。
四六時中彼のことを考え、週刊誌によろしくない記事が出たときには悲しくて悔しくてたくさん泣いた。
便箋4枚にわたる手紙を書いて、ライブ会場のプレゼントBOXに入れたこともあった。
あの頃の私は、今の私にはない輝きを放っていたと思う。
興味がなくなったわけではなく、今でも新曲はチェックしているが、以前ほどの熱量はなくなった。
彼への熱が落ち着いた今、あれほど心から夢中になれる人はこの先現れないのではないか、とすら思う。(夫よ、すまない。)
別にリアルにお友達になりたいとか思っていたわけではなく、既婚者である彼の奥さんに嫉妬したことも一度もないから、恋愛感情ではなかったのだと思う。
私の思う「理想の男性像」に彼の姿が近かったので、どうか表に出ている彼の姿が本当の姿でありますように、どうか彼の良いところが今後もずっと変わりませんように、と願っているような感じだった。
今あの頃を振り返ると、彼が大好きだという気持ちには常に「切ない」がセットだったと感じる。
ステージ上の彼の姿は、本当の姿なのか?と疑ってしまう切なさ。
自分の理想と少しずれた彼の姿を知る度に、やはり彼のすべてを知ることはできない、と実感する切なさ。
彼のことを考えると、他には代えがたいときめきを感じると同時に、どうしても胸が苦しくなる感じがした。
あの経験から分かったのは、自分が本当に何かを心から好きになったとき、「楽しい」「嬉しい」というポジティブな感情だけではいられない、ということである。
逆に言えば、「好き」と一緒に「切ない」という感情が胸の中に生まれたら、心から対象にハマっている証拠だとも思う。
最近久しぶりに、そのふたつをの感情を同時に感じた。
対象は、まさかの野球選手である。(スポーツ観戦なんて、夫と出会うまで全く興味がなかった。)
野球選手というと、華々しく、お金持ちで、堂々としていて、どこか偉そうだ、というイメージを勝手に抱いていた。
ところが最近気になる彼は、小柄な体型で、偉そうなどころか、いつも眉をハの字にして不安そうな顔でプレーしていて、うまくいったときのホッとした顔がとてもかわいい。
大柄で華やかなオーラを放つ選手が目立つ中で、すみっこで控えめにしている彼を、応援したくなる。
もともと何かにハマると一直線で周りが見えなくなる私である。
この感情がどう育っていくのか、少し楽しみだったりもする。