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ワンシーン

 働き始めて最初の年、初めての仕事納めを終えた。初めてだらけの1年だった。今年はこんな状況だし、会社から(というか、先輩から)釘を刺されたので、遠方の実家には帰らないことにした。実家じゃない場所で迎える年越しも初めて。大人になる、ってこういうことかあ。と思いながら感じる、浮足立った「東京」という街の空気。これも初めて。
 帰りの電車の中は、いつも混雑していて、私は今日もうんざりする。でも、次にそれを感じるのは数日後だ。今年は最後。イヤホンの音量をギリギリまで上げて、不満も文句も思考も止める。そうだ、ユニコーンの「雪が降る町」でも聴こう。
 大学まで暮らした土地は、雪の降る北海道。雪の降らないこの大都会で、雪の町に思いを馳せる。みんな、元気かなあ。会いたいなあ。話したいなあ。毎日毎日、これでもかっていうくらいに言葉を発しているけれど、自分の言葉じゃないような気がしていた。仕事のための言葉。会社に言わされている言葉。ずっと抱えてきた違和感の正体に、ようやく気付く。思考が止められていない自分に、心の中で呆れ笑いする。曲を変えよう。チャットモンチーの「いたちごっこ」がいい。イントロが始まった瞬間、あ、今はこの曲だ。と感じてテンションが上がった。音楽っていうのは、一瞬でこういう魔法をかけてくれるのがいい。私は混雑した電車の一部となり、その時間をやり過ごした。

 ようやく電車から解放されて、歩道橋の上の喫煙所で一服。仕事の後の日課になってしまった。煙と一緒に吸い込む冷たい空気で気分が晴れるけど、次の瞬間には溜め息と一緒に吐き出している。
 1ミリグラムの煙草を、誰よりも長い時間をかけて吸い終えて、近くのベンチに腰掛ける。スマホを取り出す。懐かしい誰かと話したい気分だ。無造作に並んだ名前をスクロールしながら、誰と話せばこの欲求が満たされるかと、吟味している。性格悪いのかな、知ってるけどさ。結局、いつも掛ける後輩の名前を親指でそっと叩いた。
 呼び出し音が耳障りだから、画面を見つめてじっと待つ。呼び出し慣れた相手でも、下心などなくても、繋がるまで毎回ドキドキする。5コール目の途中で音が途切れる。私は慌てて、冷えた画面を耳へとあてる。

「はい、もしもし」
「あ、もしもし。元気?何してたー?あはは」 
さみしさを気取られないように高い声を出す。
「いま家です。なんかあったんすか?」
「え、いや、元気かなーと思って。なんとなく。」
そう話す私の受話器越しに、カチ、という音が聞こえた。
「元気ですよ、先輩、元気じゃないんですか?ふうー」
「え?吸ってる?うわ、ずるい、私も!!!」
後輩が煙をふうー、と吐き出す音が聞こえるや否や、私の足は先ほどの喫煙所へと向かっていた。
「いまねー、駅前の喫煙所。外のね。寒い。でも吸う。ちょうど誰もいないし。」
 孤独に耐えきれなくなって電話したくせに、平気を装って。口先でばかり喋っている、私、何してんだろう。肺いっぱいに吸い込んだ煙で、虚しさを振り払おうとした。

 さっき以上にゆっくりとふかしながら、思案する私の沈黙を、後輩は心地よく守ってくれた。受話器越しに、火を消す気配が伝わってきて、ああ何か話さなければ、とパニックになりかけた時
「先輩、覚えてます?昔、落ちてた煙草拾ったことありましたよね。」
「あったあった!マルメラだよね?なっつかしー」
右往左往している一方で、くたびれて泣き出しそうにな私の頭で、記憶がよみがえる。あったっけな、そんなこと。家の近くの、塀かなにかの上に置かれた、半分ほど中身が入ったままの煙草の箱。終わりかけた夏の、真夜中の匂い。ミニスカートを履いた足で踏むアスファルトの感覚。派手なピアスが揺れて、振り回される耳たぶ。笑うたびにバシバシと叩いた、後輩の肩や腕。一瞬にしてその場に引き戻された。

 後輩の家で酒を飲み、ベランダで煙草をふかし、私があーだこーだと延々と人生に文句を言い、一通り言い終わって、自分の家でシャワーを浴びて昼まで静かに眠りたい。と帰ろうとした。大学時代のお決まりのパターンだった。その日はいつもより酔っていて、珍しく送っていくと申し出てきて、一緒に真夜中の街を歩いたのだった。
 そのマルメラの箱を手に取り、ポケットのライターで火を点け、吸った。初めて吸ったメンソールは、意外とイケた。気に入った私は、そのまま頂戴した。

 そのハプニングと懐かしさに、ふたりでひとしきり笑いあった。
「今思うと、危ないことしてましたよね、俺ら。ばかだなー。何かあったらどうしてたんだろ。」
「でも、あのマルメラのおかげでメンソールのおいしさに気付けた。新たな出会いだったんだよ!こういうのが楽しいんだよ、人生。」
何気なく言った言葉が、ふと自分自身の胸に刺さった。
「で?また、ホームシックですか?」
相変わらず、後輩の声は人の警戒心や、羞恥心や、プライドを溶かす。
「そうなんだよ、こんな砂漠でぽつんと年越しなんて。と言いたいところだけど、治った。いま治った。しかも自力。すごくない?」
「え!!!何ですかそれ!ヤニパワーですか?」
目を丸くして言っている顔が目に浮かぶ。
「んー、まあそうかな。なんか、帰り道マルメラ落ちてるかもしれないじゃん、って思った。」
「なるほど。」
「ほんと私、思い込み激しい。すぐ考えすぎる。」
「でもすぐ立ち直る。」
「ははっ、いつもお世話になっております。」
誰もいない喫煙所で、お辞儀をした。北の方を向いて。きっと届いているだろう、いつだってお見通しなのだ。
「あ、いまお辞儀とかしてるでしょ。」
「ぴんぽーん!」
「ちょっと元気出たみたいですね。」
「出た出た。ありがと。また落ちてる煙草探しに行こうね!」
「あれはたまたまですから!もっとおもしろい遊び考えときますよ。」
「ふふふ、期待してる。」
「めちゃめちゃしといてください。」
「じゃ、そろそろ帰ろっかな。さっむーい。」
 実はとっくに喫煙所を出て、階段を下り、家路へと着いていた。応急処置ではあるが元気を取り戻した私は、よいお年をー、とかなんとかお決まりのやり取りで通話を終了した。この溌剌とした気持ちが、ずっと続けばいいのに。
 駐輪場が近づいてきたので、スマホを仕舞ったその手で、財布を取り出す。精算機の上に、何かが置いてあるのが見える。煙草ではなさそうな形だが、まだ、それが何かは分からない。誰かの落し物だろうか。あたりに誰もいないことを確認しながら、一歩ずつ近づいていく。

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