マクドナルドを創業したのはマクドナルド兄弟?
マクドナルド1号店を作ったマクドナルド兄弟とフランチャイズ化によってアメリカ全土へMcDonaldの名を轟かせた経営者レイ・クロックの物語が映画になっており、その感想をつらつら書きます。どちらがマクドナルドの創業者と言えるのか?という問いが映画全体を貫いている所が面白い。
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営業マンだったレイ・クロックは、フランチャイズの一オーナーという立場から、最終的にマクドナルド兄弟の看板”McDonald”を手に入れた。純資産を600億円へと膨らませ、意中の人と略奪婚までしたのだから、全てを手に入れたと言ってもいいだろう。
これが実現したのはハリー・J・ソネボーンの頭脳、彼の画期的なアイデアに依るところが大きい。それは、フランチャイズ店の建設予定地をクロックが所有するという戦略である。この戦略の画期的な点は、①オーナーがフランチャイズ店をOPENするハードルを下げるのはもちろん、②レイはフランチャイズ店から賃料&売上の1.9%をもらえるだけでなく、③地主としてフランチャイズ店へ支配力を持ち、経営者としてマクドナルド兄弟へ影響力を及ぼすことさえできるようになったことだ。さらには、④土地を購入する費用として、土地を担保に入れると実質無担保で融資が受けられる。しかも、抵当権の返済はフランチャイズ加盟者に求めていたのだとか。
お金を借りるリスクは最小限に抑え、経営基盤と富、支配力まで確実に牛耳れるようなシステム。おまけにこのシステムはシンプルゆえに普遍的で、アメリカ全土に広がって行った。ソネボーン、すごい!
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とは言っても、McDonaldを買収した際の紳士協定、利益の1%をマクドナルド兄弟に永続的に払うことを反故とし、フランチャイズオーナーの奥さんにまで手を出したレイ・クロック。庶民である建内はどうしても創業者のマクドナルド兄弟に情が湧いてしまう。土地を買うことで富と支配力を得る戦略はいいとして、献身的な妻と別れるのも悲しかったし、ねえ、俺はどんなに自分のことが忙しくてもパートナーを大事にしたいと思ったよ。特にマクドナルド兄弟へのリスペクトのなさは頂けない。買収の生々しさもその時の会話も。マクドナルドという名前に拘ってそれを奪った、というのはちょっと卑劣だし、少なくとも紳士協定は守られるべきだった。
補足
McDonaldの売却もマクドナルド兄弟からレイに持ちかけた話だったとか、いやいや1号店は君には渡さないよ?と後出しでマクドナルド兄弟がレイに言ったとか、映画が史実とも限らないようである。もし映画が史実ではないとしたら、1号店の近くにレイがMcDonaldを出店させて、閉店に追い込んだというのも納得できる。
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それにこの映画、ロバート・キヨサキ『金持ち父さんのキャッシュフロークワドラント : 経済的自由があなたのものになる』を読むと、ただの胸糞映画とは言えなくなってくる。 S(Self-employed 自営業)でいることに拘り、B(Business owner ビジネスオーナー)には消極的だったマクドナルド兄弟と、Bの道を突っ走りながら土地に投資するI(Investor 投資家)の軸も持ち合わせるに至ったレイ・クロック、両者の痛烈な対比であると捉えると、映画の違う一面が見えてくる。
https://www.amazon.co.jp/改訂版-金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント-経済的自由があなたのものになる-ロバート-キヨサキ/dp/4480864253
というのも、この物語は資本主義はマクドナルド兄弟ではなく、レイ・クロックに富と力を与え、勝者とした話であるからだ。どんなにレイが意地汚いと言われようが、お前に人の心はないと罵られようが、資本主義というゲームの中の勝者はレイなのである。
もしレイが気弱で人からどう思われるか過敏になるタイプだったとしたら、マクドナルド兄弟との友情と引き換えに、破竹の勢いだったフランチャイズ店舗拡大はアメリカ中西部で終わり、一目惚れしたジョアンと結ばれることもなかっただろう。もしニーチェがここにいるとしたら、レイに拍手を送っていただろうことも容易に想像がつく。向上心を持って自らの卓越性を推し進め、力を求めて欲に正直にいることを重んじたニーチェなら、レイに軍配を上げるだろう。
そう考えると、人としてレイのようにはなりたくはないけれども、レイには資本主義の世界で豊かになるための徳を備えていたと言える。特に欲への忠実さは目を見張るものがある。会社という組織で働いていると、自分一人では何もできないことを嫌というほど感じるし、一人で何でもできるなんて思い上がりだと思うけれど、レイは自らの強烈な野心を飼い殺すことがなかったという点において、評価できるかもしれない。
閑話休題、McDonald買収の過程やレイの性格的な徳までは今真実に辿り着くことは難しい。意見ではなく事実として我々が見るべきレイの凄さ、それは①営業マンというE(Employee 従業員)からフランチャイズオーナーであるBへ転身を遂げ、②Bで成功を収め、③投資家としてIで資産を増やした所にある。
まず、E→Bへ華麗に転身できた点で言えば、彼にはミキサーの営業をやめ、McDonaldのフランチャイズ化に乗り出すというフットワークの軽さがあった。それをするだけの勇気も苦労を厭わない精力もあった。野心ゆえの心理的柔軟性だったのかもしれない。
彼の野心がそうさせたのか、一店舗のオーナーに留まることもなかった。レイがBとして成功したのは、「人を率いること」の努力を惜しまなかったからだ。若者を労働力として見出し、堅実で勤勉な中間層をオーナーとして据え、システムを忠実に運用する人材を揃えていった。それを可能にしたのは、低コストで効率的にハンバーガーを提供する無味乾燥なシステムに「家族主義」というコンセプトを加えてMcDonaldをブランド化し、血を通わせていった、という所が大きいかもしれない。
最後に、店舗を急速に拡大させてBとして成功するだけでなく、このビジネスに不動産投資まで組み込んだのだから、資本主義的にはあっぱれとしか言いようがない。Bで成功した資金を投資に回したのではなく、投資を自分のビジネスに組み込んだという所が面白い。
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こうやって見てみると、資本主義のゲームで豊かになるとは、①E(もしくはS)の身分に留まらずにB•Iのいる右側へ転身し、②そこで成功を収め、③最終的にIとして資産を形成することなのだろうと思い知らされる。
映画の中で、レイがセールストークとして「ニワトリが先か、卵が先か」という言葉を口にする。ハンバーガーを提供するシステムを考案したマクドナルド兄弟をニワトリ、フランチャイズ化を手がけたレイを卵とした時、この物語では「卵が先」で決着が着いた。今、我々が目にするMcDonaldの創業者はレイなのである。
◎おまけ 参考にした記事
マクドナルド兄弟vsレイ・クロックの歴史は公式で語られることはないようである
ほっこりする記事にも出会えてうれしかった