【第41回読書会】ワーニャ伯父さん最終幕
昨年の11月から読んできたチェーホフ『ワーニャ伯父さん』ですが、昨日の読書会で読み終わりました。参加してくださった6名の皆さん、ありがとうございました。
最後はとっても切なくなりましたが、なんというかそれでも「救い」のようなものを感じました。
でも物語自体は本当に救いがありませんでした。一人だったら読みきれなかったし、みんなであれこれ言いながら読んでいくことで、しみこんでいくものがありました。いろんな人の声でセリフを聞くのもおもしろかったです。
では、あらすじから紹介します。
最終章のあらすじ
ソーニャの父で大学教授のセレブリャコーフと若妻エレーナはこの田舎のお屋敷を出て行く準備を着々と進めています。そして、医者のアーストロフも近いうちに出て行きそうです。
第三幕でセレブリャコーフの仕打ちにキレてしまったワーニャですが、老婆のマリーナの言葉を借りれば「鵞鳥がガアガア」言っているだけで、誰もまともに取り合っていません。そんなところがワーニャの自尊心をゴリゴリと削って行きます。
ワーニャはいてもたってもいられず、アーストロフの薬箱からモルヒネを盗みますが、早々とバレて、ソーニャになだめられます。
「みなさん、仕事をしなければなりませんよ」という腹立たしい言葉を残してセレブリャコーフとエレーナは去り、いよいよ取り残されるソーニャとワーニャなのでした。
ソーニャの不幸
読書会の後で、この物語はワーニャが主人公だと思っていたのですが、わたしのなかで、ソーニャが主人公になっていました。タイトルに『ワーニャ伯父さん』とあるのも、ソーニャにとって、ワーニャが伯父だからです。
さて、ソーニャはかわいそうな子です。母親とは死別し、父親は再婚した若い女性と出て行くのですから。田舎のお屋敷に伯父さんと閉じ込められて働きづめでたまに来る医者に恋心を抱くも早々と失恋。この子の一生はどうなるの?ってこちらが心配になってきます。
でも、捨て鉢になってキレて暴言を吐き、ピストルを乱射したり、自殺しようと医者の薬箱からモルヒネを盗んだりするワーニャに対してこんな風にいうのです。
そりゃわたしだって、あなたに負けないくらい不仕合せかもしれないわ。けれども私は、やけになったりしません。じっとこらえてしぜんに一生の終わりがくるまで、がまんしとおすつもりですわ。
こうやって、どんな運命が待ち受けていようとも「我慢」して生きぬくと言い続け、ワーニャを支えるのです。ソーニャ、すごい。物語の最後はソーニャの言葉で締めくくられます。
もう少しよ、ワーニャ伯父さん、もう暫くの辛抱よ。…やがて、息がつけるんだわ。…ほっと息がつけるんだわ。
生ききって死んだらということですので、今世ではもういいことがないとあきらめています。それでも、死んだら神様の元へ行けるということです。全人類は辛くなったらソーニャの言葉を思い出せばいいのではないかとまで思えてしまいます。
神の存在
アーストロフはこう言っています。
いや、われわれにはお互い、たったひとつだけ希望がある。その希望というのは、われわれがお棺の中で目をつぶった時、何か幻が、訪れてきてくれはしまいかということだ。
これはソーニャが最後に言った神様とも重なると思うのです。
でも、「神様がいる」という確固たる前提があればの話です。それで神様がいなかったらどうなるのかと思ってしまいます。また、神様のところへ行くまではどうするんだという気にもなります。
でも、そうではなくて、神様の存在というのは真っ暗闇に浮かぶたった一つの人間の作り出した「希望」なのかもしれないと、キリスト教については全く無知ながら考えをめぐらせてみています。一人で「希望」はつくれないけど、誰かとならつくりだせるのではないかと思います。
ワーニャはソーニャと、ソーニャはワーニャと支え合ってなんとか死ぬまで生きて行くのでしょう。そう考えると人間の一生ってそんなものだという気もしてくるのでした。
次回の読書会について
2022年1月22日(土)7:00 -JST
課題本『女のいない男たち』
内容 『イエスタディ』の一部分を音読した後で全ての短編の感想を語り合います。
今後の予定について
コロンビアの作家、ガルシア・マルケスの短編集を読みます。
2月5日 『エレンディラ』の短編2つ
2月19日 『エレンディラ』の短編2つ
3月5日 『エレンディラ』の短編2つ
3月19日 『エレンディラ』
では、また!
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