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わたしが考える子育てで大事なこと

昨日はこんなことをつぶやきました。

ツイッターのトレンドになっていた記事でした。「不登校」と言うワードはわたしのアンテナに引っかかるので読んでみました。不登校の当事者でなくても、引きの強いタイトルなので思わずクリックしてしまう人は多そうですし、そのことに不登校の親としてもやもやした違和感を感じてしまいます。

内容は「もし子どもが学校に行きたくないと言っても、受け止めてあげましょう。そうすることで親子の信頼関係が生まれて、頑張れる子どもになれますよ」という、わたしにとってはいたって当たり前の話でした。

今回は、このタイトルにどうして違和感を感じるのか考えてみたいと思います。

筆者の言いたいことは「本心を語れる親子関係の大切さ」というところなのでしょう。この記事を書いた人がしているビジネスもおそらく「本心を語れる親子関係」を築くためにどうすればいいかということのはずです。

でも、そのままを書いても誰もクリックしないから、大勢の人に刺さるようにタイトルを書かないといけません。タイトルを考えるとき、誰がそれを言っているかというのは信用度に関わる大事な話なんですよね。例えば、わたしの書いたこの記事のタイトルでは誰も見向きもしません。「わたし」って誰よって話です。

「子育ての専門家が語る、本音を〜」でもなく「中学校に行かなかった娘を自立へと導いた、本音を〜」でもなく「シングルマザーで息子2人医学部合格、本音を〜」をタイトルにしたのは日本の社会にはこちらの方が刺さるからなんですよね。

まず、シングルマザーという情報をここで入れることで、「シングルマザーでは医学部に行けるような教育はできない」という先入観を浮き彫りにしているうえに、そういうことを堂々とタイトルにしてもかまわないというスタンスがわかってしまいます。

たしかに、シングルマザーで子どもを育てることは大変だし、ちゃんと自立させたことで親としての責任を果たしたことはすごいけど、それはどんな親でも同じはずです。

そして医学部合格。医学部合格はたしかにすごいけど合格したのはあくまで子どもであって、お母さんではありません。それをさも親の手柄のように書いてしまって、親子の信頼関係って壊れたりしないのかと逆に心配になります。

まだまだ「医学部=頭がいい、賢い、すごい」っていうステレオタイプがあるんですよね。「ああ、いいなあ、すごいなあ」って。そう思う人はなぜ自分がそう思うのかを振り返ってみたほうがいい気がします。

色々あるけど、何より罪深いなって思うのが、悩みながら子育てしている人が、「医学部進学」などわかりやすい成功を成功としてしまうことで、そうなれない親への「劣等感」を与えることです。その気持ちがまた子どもに向かうという負の連鎖が起こります。

子どもも、お母さんもありのままでいいのです。基本的には。

そういうわたしも、もし子どもが不登校にならずに、学校へ行き医学部に合格したら、自慢したくて、同じような記事を書いたかもしれません。でも、うちは子どもが生きる力の精一杯を尽くして大人に反抗してくれたおかげで、自分を振り返ることができたし、子どもをコントロールしたいという気持ちにも気づくことができました。

今は子育てという旅の途中だけど、そのままの自分も、そのままの子どもも認めながら、終わりなき「子育て」という旅を生きていく所存です。

では、また!




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日本語教師でライターが日常をみつめるエッセイです。思春期子育て、仕事、生き方などについて書きます。

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