太宰治「家庭の幸福」を読んで
2021年1月23日(土)にオンラインで読書会を行いました。
ご参加いただいた4名の皆様、ありがとうございました。
読書会報告記事ということで無料版です。
以前の読書会では課題本はわたしが決めていたのですが、最近では会の終わりに参加者で話し合って決めています。
前回『ヴィヨンの妻』を読んだ際に、もっと太宰治を読みたいという話になり、参加者のお一人の『家庭の幸福』がおすすめだという話を受けて、今回はこの課題本になりました。
青空文庫で読めます。
太宰治、あいかわらず
太宰治は相変わらずな生活です。飲み歩き、借金を作り、女と遊んで、朝帰り。家族は明日食べるお金にさえ困っているのに、自分だけは放蕩生活の通常運転です。それなのに本人は「死にたい」……。
そんななか、奥さんと子どもたちが原稿料が入ったのをいいことにラジオを買ってきます。そして、みんなで楽しく聞いているのです。
このラジオ、みんなで楽しく聞いて笑顔になるところ、家庭円満の象徴ですね。
太宰(主人公)は、にがにがしく思いながらも、病気で寝ているときにラジオを聞くのです。引き込まれて聴き続けているうちに夜になると、『妙なもの』を聴きます。それは、政府の役人と民衆の街頭録音でした。
太宰治、公務員にキレる
この辺りから、太宰が役人の態度に対してキレはじめます。
現在の国会中継と同じで、役人は奥歯にものが挟まったような言い方しかしないわけです。しかもニヤニヤしながら。
つまり、その官僚は、はじめから終わりまで一言も何も言っていないのと同じであった。
と言い切り、もし、その場にいたらこう言うのだ!といきまきます。読書会では音読をしたのですが、このあたりを声に出して読むととてもスカッとします。
あなたはさっきから政府だの国家だの、さも一大事らしくもったい振って言っていますが、私たちを自殺に導くような政府や国家は、さっさと消えたほうがいいんです。誰も惜しいと思やしません。困るのはあなたたちだけでしょう。何せクビになるんだから。
今の世にもう一度生き返って言ってほしいくらいですよね。というより私たちが言わなければならないことです。
そして、さんざん文句を言ってから、自分は政治活動に興味がないとして、
私の視線は、いつも人間の「家」のほうに向いている。
と言います。これ読書会でもお話したんですけど、すごく印象的な言葉です。太宰は家庭というものを嫌悪してたのかな?家庭の幸福を手に入れたくて、でも、手に入れられず癇癪を起こしていたのかな?
このあたりで読了後のトークが盛り上がりました。
実は、わたしも家庭というものに心安らがない人なので、少し太宰の気持ちがわかるんですよね。
太宰治、読者に一撃を与える
それで、太宰は、公務員が家庭の幸福を守ろうとすればするほど、国民にとって優しくない社会になると結論づけます。めちゃめちゃ極論です。
そして、物語の最後はこう締めくくられます。
家庭の幸福は諸悪の本
これはかなりの一撃でした……。
自分のいい加減さを棚にあげ、国民が貧困に喘いでいるのは、公務員が、恵まれた待遇で「ラジオ」なんかを聴きながら、自分の家庭のためだけに働いているからだ。それが諸悪の根源なのだと喝破されるのです。
極論だとは思うけれども、あながち間違ってもいないし、政治、社会、家庭など太宰の描くもの全てが繋がっている気がしました。
その極論に乗せられて物語としても、社会に対する抗議としてもどこかでその世界観を楽しませてもらっている自分がいました。不思議です。
でも、考えてみたら、幸福で理想的な家庭なんてあるんでしょうか。わたしはないとおもいます。太宰が断罪している役人の家庭だって何かしら不幸の種はあるはずです。それが見えないところがまた人間なのだと感じられました。
みなさんと最後にああだこうだいう物語としても最高の一編でした!次回も楽しみです。
次回は2月6日(土)1900より
課題本は梶井基次郎「檸檬」「桜の樹の下には」です。
では、また!
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