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ルールにすがると考えられなくなる

数人で働いているある現場で「AとBで迷うことがあるから、AならA、BならBと決めてください」とある人が言われたことがありました。でも、その現場のリーダーはこう言いました。

「あまりルールは作りたくないんです。だから、自分で考えて対処してください。そして、報告してください」

わたしはこの言葉を聞いてびっくりしました。リーダーはルールを作る人で、困ったことがあれば、ルールを作って働く人を監視するんだと思っていたからです。

でも、そのリーダーは違いました。「自分で考えて判断しろ」と言いました。その裏に仲間への揺るぎなき信頼があるんだなと感じました。「信頼されている」と感じたら、人はちゃんと考えて判断するよなあって。

わたしはルールで縛る人よりも、信じて任せてくれる人と働きたいです。

ルールがあると考えない

もちろん、交通ルールなど命の関わることや、憲法など国の成り立ちを決定するルールは必要です。また、お金の支払いなどについてもある程度のルールは必要です。

だけど、個人の判断に委ねていいことまで、ルールを決めてしまうのはどうなのかなと最近考えています。例えば、服装や髪型、SNSの使い方などなど……

とはいえ、トラブルを未然に回避するために、ルールがあったほうがみんなが安心できる場合もあるでしょう。でも、どんなにルールを作ってもトラブルをゼロにする方法はありません。

それなのに、何かが起こった時に、考えるのがめんどくさいから、いちいち考えて対処するのが大変だからという理由でルールを作る場合が多いような気がします。

ゼロ百思考に陥る

ルールでガチガチに固めているのに、トラブルが起きた時、当たり前ですが、ルールを守らなかったものが一方的に責めを負うことが多いような気がします。

また、事情があってルールに従えない人でも、みんなと同じでなければ許されなくなっていきそうです。「ルールを守れない人はダメな人」「ルールを破る人は信頼できない」「うまくルールをちょろまかしていていてずるい」などなど。

そんな世界に優しさや思いやりはありません。ただ、自分の居場所をルールを守ることにより確保しているだけです。そして、それは個人の精神のなかにまで入り込み「ここにいたければ、こうせねばならない」と自分で自分を縛ったりします。

必要なのはルールでなく理念

ルールがなくては落ち着かない。

そんな私たちに本当に必要なのは理念ではないでしょうか。

逆に、ルールをたくさん作ってしまうのは理念がないからとも言えます。理念というのは、その仕事でどんな世界が作りたいかということです。

自分の行動が理念に沿っているかどうか考えることができれば、つまらないルールはなくなると思います。

では、また!


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日本語教師でライターが日常をみつめるエッセイです。思春期子育て、仕事、生き方などについて書きます。

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