
国境を越えて|中国〜ラオス〜タイの旅
夜明けの国境の街、モンラー。
まだ夜が明けるか明けないかの時間にバスターミナルへ。バスは7時発だが、人が集まらないと出発しないという。こんな早朝にバスが乗客でいっぱいになるはずがない。途方に暮れていると、タクシーのおじさんが「国境に行くの?」と近寄ってきた。
「はい」と答えると「じゃあ、連れて行ってあげるよ。ーー元でどう?」と言われた。迷ったが、待っていても仕方がないので、そのおじさんの車で行くことにした。一人旅をしていると、こういう時にとっさに判断を下さなければならない。乗るか乗らないか、やってみなければわからないし、リスクも伴う。でも怖がっていれば前に進めない。今になってみれば、よくやっていたなあと思う。若い時だからできたことかもしれない。
おじさんの車は小さなワゴンだった。おじさんは、しばらく人が集まるのを待っていたが、あきらめてわたし一人を乗せて出発してくれた。片道2時間の旅だ。おじさんがひっきりなしに質問してきた。何を話したか忘れたが、農村の風景がやたらきれいだったのを覚えている。
思えば、こうやって中国語を覚えてきたのかもしれない。わたしの拙い発音をよく聴いてくれたと思う。
そんな時だった。突如、頭に何かがぶつかって痛みを感じた。おじさんはすぐ車を止めた。幸い、事故ではなかった。実はこの車には不思議なエアコンが搭載されていた。それは言われなければエアコンだとはわからない代物だった。幅50センチ、高さ5センチ、奥行き10センチほどの金属でできたただの箱のようなものだったが、電気をつなぐと涼しい風が出てきたのだ。おじさんはこれを「手づくりなんだ」と自慢した。
おじさんは針金を使い、そのエアコンを車の天井から吊るしていたが、それが耐えられなくなって落ちてきたというわけだ。おじさんは器用に元あった場所にエアコンを設置し、再び車を動かした。
1時間後、車は無事にボーデンについた。
ジャングルの中を切り開いた小さな町だった。「まっすぐ行ったら、オフィスがあるから」と言われ、おじさんの車を降りた。
旅で誰かに出会い、何かをしてもらうたびに、「本当は騙されていたらどうしよう」などと失礼な心配が心をよぎるが、大抵は杞憂に終わる。世の中に生きる大半の人はいい人だ。これは旅で学んだことだ。
中国・ラオスの国境を現在、グーグルで画像検索してみると当時とは似ても似つかぬ写真が出てくる。電車が通るだのカジノの建設予定があっただの。17年前はそんなこと想像もできないくらい、寂れた場所だった。記憶の限りではジャングルに似つかわしくない、無機質な建物があるだけだった。
出国ゲートに続くであろう道を10分ほど歩くと、出国オフィスがあり、そこで手続きを済ませる。といってもスタンプをもらうだけだ。そこの係員がわたしが住んでいた都市の名前を見て「わたしもこの町の出身だよ」と言って笑った。最後に見送られたような気分でわたしも笑い返して出国する。
ラオス側の入国ゲートまでは車で数分。歩いてもいいが、ここは車で行くことにした。もう交渉はせず、残りの中国元を気前よく払った。
車は軽トラックだった。そして、またしても一人だった。未舗装のジャングルの道を軽トラックの荷台に乗って進む。途中、「中国」と書いた碑を通り過ぎた。南国の風が気持ちよかった。
そして、ラオス側に入った。
車を降りると、そこに入国オフィスがあった。ラオスは当時、今もかもしれないが、ビザが必要な国だった。そこでアライバルビザを取得した。そして、1年以上に及ぶ中国在住期間が終わった。
ラオスに入国したら、こんな風景が広がっていた。
バスターミナルはどこですか……?
バスターミナルを探して、この道を行ったり来たりした。人もいない。泣きそうだった。なんという国だ。国境というものはこんなものなのか。島国で育ったわたしには陸路の国境のイメージがなさすぎた。
すると、国境を越えてきたカナダ人家族に出会った。カナダ人のおばさんはわたしに気さくに声をかけてきた。「日本人?私たち、ルアンプラバーンに行くけど、一緒にいく?」
「まじですか??はいはい、行きます!!」すぐにそう返事をした。
わたしともう一人の旅行者(どこの国の人か忘れた……)と両親と息子のカナダ人家族は、車をチャーターして一路、ルアンプラバーンへ向かった。
本来ならバスでウドムサイという町まで行く予定だったが、そこをスキップできてよかった。
車の窓からはすばらしい風景が広がっていた。どこまでも続く緑の森の中に茅葺の集落があった。未舗装の道路を頭にカゴをのせ、美しい刺繍のスカートを履いた女性が何人かで笑いながら歩いていた。空は青く澄んでいた。来て1日目で大好きになってしまった。
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