
日本語教師にとって挑戦とは
最近、YoutubeやInstagram、podcastで日本語のレッスンの投稿をしている人が本当に多くなりました。しかも、皆さんクオリティも高くすごい。わたしもやってみようかなと思わないでもないですが、何となく手を出せずにいます。だけど、先行きの不透明ななか、今年は何か始めてみたい!新年だからか、そんな気持ちにもなります。
そんな折、のもきょうさんがこんなことをつぶやいておられました。
ある程度「リスクを取って挑戦すること」は、まさに21世紀型教育の学校で、子どもたちが教わっていることです。
— のもきょう🇲🇾「日本人は『やめる練習』が足りてない」集英社新書 (@mahisan8181) January 4, 2022
そのためには、他人の失敗に寛容にならないといけないのです。
なぜなら、「他人に対する批判・完璧主義」はあとから自分に全部返ってくるから。
自分自身の挑戦の足枷になるからです。
では、日本語教師にとって「リスクをとって挑戦すること」とはどういうことがあるのでしょうか。反対に挑戦しない日本語教師とはどんな人なのでしょうか。今日はそんなことを考えてみたいと思います。
挑戦しない日本語教師とは
同じ職場で、毎年同じ教科書で、同じ教え方で教える教師が挑戦しない日本語教師でしょうか。でも、なぜ挑戦しないかと言えば、学習者のほうはわからないけれど、教師のほうはそれで満足しているからでしょう。新しいことを学んだりする必要性も感じていないかもしれません。
でも、現状に満足せずに悩んだり迷ったりする教師は、誰かに相談したり新しいことを勉強するようになるでしょう。
まず学んで人の輪を広げる
挑戦の土台として「これでいいのだろうか」と現状を疑ってみたり、「こんなんじゃダメだ」と現状を打破しようという心意気が必要です。そういう心意気がある人はまず何かを学ぼうとします。
現在、日本語教師のセミナーは毎週なにかしら行われているし、情報はインターネットを使えば簡単に手に入ります。
もちろん、セミナーなどには当たり外れもあります、時間とお金をかけたのに、「そんなことが知りたいんじゃないんだよ」と言いたくなる時も多々あります。でも、それも勉強です。
学んでいると、ともに学ぶ仲間が必ずあらわれます。そういう人たちとの輪が広がると、学ぶのが楽しくなっていくはずです。
実践してみて失敗する
学んだら、即実践してみることが大事で、これが挑戦の始めの一歩です。今までやってきたやり方を少しだけ変えてみます。たとえば、フラッシュカードを使っていたけれど、それをやめるとかそんな小さなことでいいのです。
そして、その結果を踏まえて、自分で今までやっていたやり方がいいのか、新しいやり方がいいのか、どちらがいいか考えてみます。
その時、記録を残すのがおすすめです。授業日誌のようなものを作って、学習者の反応などを書いておくと自分の頭の中も整理できていいと思います。
稼ぎ方を変える
現状の職場や働き方のなかで、このように小さな挑戦を積み重ねていけば教師として少しずつ成長していけるし、同じ志を持った仲間が集まってくると思います。
でも、どうしても今いる場所がストレスフルで自分にとって悪影響を及ぼしていると感じられるのなら、稼ぐ場所を変えたほうがいいこともあります。
大きな挑戦になるでしょうが、日本語教師を続けるかどうかを含めて、どんな場所へ行くかよく考えて決めたらいいと思います。
「リスクをとって挑戦しよう」「時代が変わる」と言われると人間、焦るものです。ですが、ひとくちに「挑戦」といっても様々な切り口があります。「挑戦」というと起業したり、Youtubeをはじめたり、そんなことが思い浮かぶかもしれませんが、それだけが挑戦ではありません。他にもできることはたくさんあります。自分の足元を見て、自分の力で食べて、そして少しずつ成長しているのなら、それは立派な挑戦じゃないかなと思います。
では、また!
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