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不安定な日々を生きる力こそが安定

最近よく「安定」って何かな?と考えます。というのも将来について考えだした長女が「安定した職に就きたい」と言い出したからです。そこで「安定って何なん?」って聞いたりするのは思春期女子に対して、喧嘩を売っていることになりますので、自分に聞いてみました。「安定って何なん?」

「安定」って言われたらやっぱりそれは仕事のことだと思います。正社員は安定しているけど、そうでない非正規は安定していないと思われがちです。私が非常勤講師をかけもちしていることも傍目から見れば不安定に見えるでしょう。

また、正社員の妻であることも「安定」していると考えられそうです。扶養家族であることで働く時間を抑えれば、年金も社会保険も払わないで済みます。現時点のシステムでは。それだけでなく誰かの妻である。もしくは母であるということも傍目からみれば「安定」の材料であるようにおもいます。

傍目にどう見えるかで自分の人生を判断しているところは十分にあるとおもいます。

ここで「はて?」と考えてみます。本当にそれは「安定」なのか、と。上述の「安定」って昔ながらによしとされた生活スタイルで、つまりは「昔は良かったな」にすぎないんじゃないかと。というのも、私自身、今の働き方がそんなに「不安定」だとは思わないからです。

たしかに今まで何度も急に授業を打ち切られたことはありました。ただし、週に1回の授業が急になくなったからといって痛手はありません。そのほかの5日、もしくは6日で補えるからです。しばらく休んでいたら、どこかからお声はかかります。

ただ、そういう状態にするためには、常に週に6回、下手をすると週に7回は働いています。ちょっと働きすぎだとはおもいます。でも基本的に好きな仕事をしていて、ストレスの溜まることはやっていないので、一晩寝たら元気チャージされます。食べるものにも注意して、定期的に運動をして体を健康に保つ努力はしています。

それ以外にもバカ高い年金や社会保険料を支払わなくてはなりません。これも苦行です。しかし、だからこそ、次に進めるのです。自分の仕事のお金の出入を自分でしっかり把握して、どうすればいいかを考える。自分だけで考えられないなら、誰かに相談してみたり、税理士事務所の門を叩いてみたり。困るからこそ進化できるとおもうのです。

何が言いたいかというと、不安定な日々を生きていると、それなりに安定させるために工夫をしたり、マイナーチェンジをしたり、人に相談したりと小さな変化を起こしていくのです。それを続けているうちに、自分もまわりも少しずつ変わっていきます。それが不安定に見える安定のような気がしています。

自分が動くから、自分が納得して、仕事をしていける。週1回なら「合わなかったらやめたらいいか」と思える。それがフルタイムなら簡単にはやめられない。いくつもの仕事を掛け持つことは不安定に見える安定だと最近おもいます。

ちなみに、「そうはいってもこの生活、10年後も続けていける?」と思っていることを20歳年上に友人に相談したら、「うん、いけるいける。わたし今65歳で同じようにやってて、この先、何もなければ10年いけるかも?って思ってるから、わかばさんも30年いけるよ」って言われてズッコケたというか、なんかいろんなこと心配しても仕方ないよなあという気持ちになったのでした。

未来はわからない。それこそが不安定。だからこそ、人生を好きな仕事をして楽しみたいとおもうのでした。





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