ヴィヨンの妻を読んで
1月9日に今年初の読書会を行いました。初めてのメンバーにも参加していただき、賑やかにスタートできました。参加してくださったみなさま、ありがとうございました。
1月のテーマは、太宰治というわけで、今回は青空文庫にもある「ヴィヨンの妻」を読みました。
太宰といえば、昨年に読書会で読んだ「嘘」がとても面白かったのと、若い頃、飛行機のなかで読んだ「人間失格」のほの暗い雰囲気しかなかったのですが、「ヴィヨンの妻」はなんとも面白い小説だなあとおもい、もっともっと太宰作品を読みたくなりました。
読書会は軽く自己紹介したあとに、音読に入りました。ある程度読んでから交代するのですが、「ヴィヨンの妻」は短編というには少し長い小説だったので、すべて音読し終わるのに1時間弱かかりました。
朗読はスポーツだ
その音読で感じたことは、なんとも一文が長いことです。
ふつう、「良い文章を書きたいなら、一文を短くせよ」と言われるじゃないですか。ところがどっこい、長いものなら5行ほどに及ぶこともあり、息切れしそうになりました。それでいて、リズムがよく文章に呼吸があってくると爽快この上ないのです。
もちろん、会話文の箇所だったのですが、登場人物になりきって話すとより、物語に入り込んでいけそうでした。その没入感も心地よかったです。
これは不思議な体験でした。読み終わった後はなんだか軽いスポーツをした後のような充実感を味わいました。もしかしたら、朗読はスポーツなのかもしれません。
ヴィヨンの妻の感想
ヴィヨンの妻の夫、大谷(太宰であると思われる)は最低です。無銭飲食はするは、行きつけの居酒屋のお金はくすねるは、浮気はし放題だはでSNSがあったらいの一番に抹殺されてそうなんですが、なんだかみんな笑って許しているんですよね。
今は、「笑って許す」みたいな文化が壊滅状態で、ほんとうに生きづらいなとおもいます。
でも、そこで妻は子どもを連れて散歩に出かけ、池の周りでひと泣きした後で、働きだし、そこからヴィヨンの妻の人生は変わって行くのです。
わたしは作品中で妻が、子どものことを
我が子ながら、ほとんど阿呆の感じでした。
と言ったり、店のお客さんに犯されたりしても
私は、あっけなくその男の手に入れられました。
などと言って、降りかかる不幸を全く気にせずに飄々と生きているように描かれていて、こちらも却ってすがすがしいような感想を持ちました。
もしかしたら、太宰が女性をそのように見ていたのかもしれません。
男には不幸だけがある
それを裏付けるかのように、このようなやりとりがあります。
「女には、幸福も不幸もないものです」
「そうなの?そう言われると、そんな気もして来るけど、それじゃ、男の人はどうなの?」
「男には、不幸だけがあるんです。いつも恐怖と、戦ってばかりいるのです」
前回読んだ「82年生まれ、キム・ジヨン」女性の生きづらさを描いた作品で、おおいに共感しましたが、ヴィヨンの妻を読んで、男性も男性なりに、生きづらいところがあって当然だなとおもいました。
太宰は男性の弱さをとことん描いた作家なのかもしれないなあとふと感じました。
男女、それぞれに辛い部分があるので、その辛い部分を認め合い、いたわりあって生きていけたらいいなあとおもいました。
最後の妻のひとことも最高です。
「人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ」
では、また!
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