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旅のはじまり|中国〜ラオス〜タイの旅

先日、USBメモリを処分しようと中にあるデータを整理していた。ほとんどが昔の日本語関係のものだったのだけど、その中にひとつ、「LAOS」と書かれたフォルダがあった。開けてみるとそこには懐かしい風景が広がっていた。

2005年に中国で日本語教師をしていたけれど、色々あって退職。荷物を日本へ送って、バックパックで中国からラオスを経てタイ・バンコクを目指す旅に出たのだった。

今日は3話完結の1話目。

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2005年10月。

中国で勤めていた学校を退職した。言葉にならない思いを抱えて、住んでいた街をバスで出て、一番近くの都市、成都にやってきた。これから全て忘れて旅をするのだ。そんな気分だった。

成都から雲南省の最南部にある都市、西双版納(シーサンパンナ)まで、まずは飛行機で飛んだ。機内で同い年くらいの女の子と知り合った。飛行機は出発が遅れに遅れていたため、出発ロビーで話し込んでしまったのだった。

到着が夜遅くなったので、彼女は友達が迎えにきていて、私のホテルまで送ってくれるという。しかし、私はホテルを予約していなかったので、その旨を告げると、「危なすぎる」といたく心配され、彼女の宿泊先に私用の部屋を取ってくれたのだった。お金はどうしたか覚えていない。

西双版納の写真はないけれど、知り合った彼女とその彼氏とナイトマーケットの屋台で串焼きみたいなものを食べた気がする。ビールも飲んだと思う。秋の気配の漂っていた成都から、いきなり蒸し暑い東南アジアに飛んできた。

その頃には日本語教師をやめたことを半分忘れていた。結構ショックだったはずなのだが。その時、何を食べたかは覚えていないけれど、雰囲気は今でも覚えている。肉やらハムやら野菜やらを長い串に刺したものが、バナナの葉の上にずらりと並んでいて、食べたいものを選んで、店の人に焼いてもらって、食べるのだ。プラスチックの固い椅子に座って、その日に知り合った人と串を食べた。

翌朝早く、私は中国とラオスの国境の町モンラーに向かうため、ホテルを出た。彼女の部屋を訪れ、別れを告げた。「あなたは一人だから、気をつけて」と彼女は寝ぼけ眼で言った。

バスでモンラーという町に向かう。車窓の眺めは東南アジアのそれだった。4時間ほどしてモンラーに着くと宿探しをした。旅人のバイブル『地球の歩き方』に載っていた宿に泊まった。名前はさすがに覚えていないが、メインストリート沿いにある宿だった。

今はどうか知らないが、モンラーは当時うらぶれた国境の町だった。店の人はぼんやりとテレビを眺め、通りは埃っぽく、野良犬が道端で昼寝をしていた。ホテルを出て歩くのも億劫になるくらいだった。

そうはいっても、腹は減る。夕方ごろから、夕食を求めて街に出た。「どこかの食堂で麺類でも持ち帰りしようか」と思ったが地元の人が利用する店はどこも敷居が高かった。店員に商売っ気はゼロだったからだ。「入ってください」という雰囲気がないと入りにくいものだ。

そんな中に一軒、英語でメニューが書いてある食堂を発見した。食堂といっても家の軒先でちょっとした軽食を出しているような店だった。私はチャーハンを注文した。こういう店は決まって注文した料理が出てくるのが遅い。

その間に、その店の主人と話をした。20代後半くらいの男性だった。その妻が裏の厨房で私のチャーハンを作ってくれているらしかった。とりあえずコーラも注文した。蒸し暑くて喉が乾くのだ。ストローをさして飲む。その主人に日本のことを聞かれた。会社員の給料や街の様子、など。

そうこうしていると、チャーハンが出てきた。その頃にはすっかり日も暮れていた。しかし、満足に灯りもないからチャーハンに何が入っているかさえよくわからなかった。そして、美味しくはなかった。

とりあえず、お腹は膨れたので、ホテルに帰って寝た。明日はいよいよ中国と「さようなら」だと思いながら。

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