風に乗れる息子と私の葛藤
夜ご飯を作っていたら小1の息子が来て、話し始めた。
最近自分から「聞いて」と来ることが減ってきたので嬉しい。
息子「今日僕風に乗っちょんときにさー、」
私「え、待って。風に乗ることあるん?」
あぁやってしまった。
考えなしに遮ってしまった。
本題がそこじゃないことは明白なのに。
言いたいことは風に乗ってるときに起こった出来事にあるはずなのに。
私は日ごろから話をちゃんと聞きたいと思っている。
もし意見するとしても、最低限最後まで聞き終わってから。
最近こんなnoteも書いた。
子どもに関しては特にそう。
そして自分の子じゃなくても、どこの子に対しても。
子どもの話を最後まで聞くのは時間がかかるけど、自分の話を聞いてもらえたっていう実感は子どもにとっても嬉しいはず。
自分の親にもママ友(?)にも「気長に付き合うよなぁ」と言われるので、おそらく実践できていると思う。
だから、私としては人の話を、しかも大事な我が子の話を遮るなんて言語道断!って感じでへこんだ。
と同時に、「いやでも『風に乗ってたとき』なんてワード、スルーできんくない?10人おったら10人が突っ込むよな?」と私悪くないモード発動。
そして「何正当化しようとしてんだよ。最後まで聞いてからでもいいやろうが。言い訳すんな。」と正義の味方くんが表れて、「確かに」とモヤモヤ。
当の息子は「風に乗るときあるやろ?」と話を続ける。
「そうなん?私は乗ったことないなぁ。それで何があったん?」と続きを促して全部聞いたけど、頭の中が忙しすぎて何も覚えていない。
とりあえずうちの子は風に乗れることと、それが当たり前ということだけはわかった。
(あ。乗ったのは下校中と言っていたので、比喩表現ではなさそう。)