【物語】夜中だけのおはなし②
【葉月ノ十四日】
次の日。わたしはおかあさまの呼ぶ声で起きました。
「一人で寝るなら起きる時も一人でできないと」
「えへへ」
「朝ごはんはできているわよ。お布団畳んだら、一緒に食べましょう」
「はーい!」
おかあさまが襖を閉めたあと、わたしはそのまま夜中に幽霊さんとおはなしした軒下に出ました。
ですが、どこを見ても幽霊さんはいません。もしかすると夜中だけしか見ることができないのかもしれません。
着替えてからお布団を畳み、いつもご飯を食べる部屋へと行きました。いつもだったらおとうさまとおかあさま、わたしの三人で朝ご飯を食べるのですが、おとうさまがいませんでした。
「おとうさまは?」
「お盆のお仕事があるから、先に一人で食べてみんなのお家に挨拶しに行ったわよ」
「そっかぁ。いただきます」
自分の席について朝ご飯を食べ始めました。もっと早くに起きておとうさまと一緒に挨拶回りへと出掛けていたら、幽霊さんが思い出すきっかけになるお話を聞けたかもしれません。そう考え、早起きも頑張ろうと思いました。
食べ終わった皿を下げて、久しぶりに何もやることがない自由時間となりました。そこでわたしは、幽霊さんが思い出すきっかけとなりそうなもの探しをすることにしました。
まずはわたしが寝ている部屋から探しました。押入れを開けてみると大小様々な箱がバランス良くしまってありました。順序よく取り出さないと崩れてきそうでした。
近くにあった座布団を何枚も重ねて踏み台にすることで、上に置いてある箱をとることができました。大きな箱は重くて取り出すことができなかったので、そのまま蓋を開けて中を見るだけにしました。ちなみに大きな箱はわたしが昔着ていた服や使っていた道具、おもちゃが入っているだけでした。取り出した小さな箱のほうもわたしが使っていたものばかりでした。
元のように片付けて、次は下の段の箱を見ることにしました。
下の段は右側に箪笥があり、左側に上の段と同じく大小の箱が綺麗にしまってありました。先に箪笥の引き出しを上から順に開けてみましたが、おじいさまやおとうさま宛ての読めない漢字が書かれた難しい手紙ばかりだったのでそっと元通りにしました。一番下の段だけ大きく金庫のようになっていて開けることができませんでした。
続いて左側の箱を見ました。小さい箱は取り出せたのですが、大きい箱は上の段が邪魔をして蓋を開けることができなかったので諦めました。
「なんだろう、これ」
下の段にあった小さい箱の一つには文字が書かれていました。カタナモリという苗字は分かるのですが、下の名前は消えかけていて読むことができませんでした。
「うわぁ、埃まみれだ……」
蓋を開けるとブワッと埃が舞い上がりました。しばらく手で払ったあとに箱の中を見てみると、曇った手鏡とその鏡の破片が入っていました。
一旦その箱を畳の上に置いて他の箱の中身も見てみましたが、これといったものはありませんでした。なので曇った手鏡を幽霊さんに見せてみようと思いました。
「こんばんは、幽霊さん」
目覚まし時計を使ったわけではないのですが、どういうわけか昨日と同じ夜中に目を覚ますことができました。もしかすると幽霊さんが起こしてくれたのかもしれない、そう思って聞いてみましたが、そういうわけではないようです。
「幽霊さんが記憶を取り戻すきっかけになりそうなものを探したよ。はい、これ」
曇った手鏡が入った箱ごと渡しました。幽霊さんの体は透けていますが、箱をしっかりと掴むことができていました。
「カタナモリって書いてあるから、わたしのお家に関係する人のものだと思うの。でも、誰のかわからなかった。あ、おとうさまに聞けばわかったかもしれない」
「そうか。探してくれてありがとな」
幽霊さんは蓋を開けて横に置きました。
「手鏡か。だいぶ古いし割れているな」
「うん。危ないから触ってないけど、破片も中に入ってるよ」
幽霊さんは曇った手鏡を右の手の平に置いて、左手で破片をパズルのように置いていきました。どうやら手先が不器用らしく、かなり雑です。
「接着剤とかがあればいいのだが……」
「その前にもうちょっと綺麗に置こうよ」
「そ、そうか」
わたしもお手伝いをして大きな破片を置いていきます。なるべく隙間がないように置いていくと、大きい破片がちょうど一つだけないことがわかりました。
「ないね」
「ああ、ない──ん?」
「どうしたの?」
「この形、見たことがある」
幽霊さんは手鏡を蓋の上に乗せて、ベストの中へ手を入れました。そして取り出したのはお守りのような小さな布の袋でした。その袋も幽霊さんと同じく透けています。
「この中に、ほら」
袋の中から取り出されたのは足りない部分の形とピッタリな破片でした。
「待って、その持ち方だと……!!」
得意げな表情をしている幽霊さんでしたが、思いっきり親指の腹に破片が刺さる持ち方をしていました。わたしが言ったときはすでに遅く、とてつもない痛みを感じている様子でした。
「大丈夫?」
「多分、大丈夫。と、ともあれ」
どう見ても大丈夫ではなさそうな苦笑いをしている幽霊さんは「ほら」と言って、足りない部分にその破片を置きました。
「ピッタリだ」
「うん、ピッタリ。でもピッタリってだけだね」
何か不思議なことが起きるかと思いましたが、何も起きませんでした。
ただ、幽霊さんが持っていた破片が実物化したことを除いては。しかし、このことに気がついたのは翌朝でした。
「ねぇねぇ、他にはポケットの中に何か入ってないの?」
「他か……」
また手鏡を蓋の上に乗せて、幽霊さんはスカートの左右のポケットの中にそれぞれ手を入れました。その後のジェスチャーからして何もなかったようです。その次は先ほど小袋を見つけたベストの内ポケットを確認していました。
「ん?」
「何かあったの⁉︎」
幽霊さんはわたしにウインクをして答えました。それから内ポケットから取り出されたのは、かるたぐらいの大きさのカードでした。
そのカードには幽霊さんの写真とこの国とは別の文字がありました。
「身分証だ!」
文字を読むことはできませんが、そのカードが身分証であることはしっかりとわかります。これを幽霊さんが読むことができたならば、記憶を取り戻す大きなきっかけになることは間違いないはずです。
「読んでみてよ」
「わかってる。ああ、そうだ。名前は──ディール・ルカヴァジーチェル。プレザニアとダヴィアの共同創設部隊、ラーミナ特殊部隊のリーダーだった者だ」
プレザニアというのはこの世界のリーダーのような国で、ダヴィアというのは北のノース大陸にある帝国の名前です。そんな二つの大きな国が作った部隊のリーダーであれば、幽霊さんの名前を言うだけで色んなおはなしを聞くことができそうです。
「少し赤黒いし、焦げてるところもあるね」
「これは血痕に雷属性魔法による焦げだな」
「結婚?」
「血痕。血の痕だ」
「ひぇ……って誰の?」
「私のだ。この血は私の血、そしてこの焦げは──私の死因だ」
なかなか物騒なことを言っている幽霊さんでしたが、その顔はどこか落ち着いていて、満足しているようなものでした。
「思い出したの?」
幽霊さんは静かに頷きました。
「ちょっとだけ聞いてもいい?」
「いいが、思い出したのは私がこの名前を名乗り始めてからのことだけだぞ?」
「名乗り始めてから? じゃあ、そのときのこと聞きたい」
もともとこの国のこの街出身とわかった幽霊さん。幽霊さんの苗字もわかってから、特に気になっていました。
「十年ぐらい前だな、私はこの古世界から新世界に転移したのは」
「転移? そっか、数年前は別れていたもんね」
数年前までは世界は四つに別れていました。ですが消えてしまったり、合体したりして、今は二つだけになりました。
「なに、数年前は別れていたと?」
「うん。今は世界が合体してるよ」
幽霊さんは少しだけ信じられない様子で「そうか」と呟きました。
「えっと、まだ転移する前のこと、即ちここで暮らしていた時のことは思い出せていないが──気がついたら、私は刀を持って帝国領内にいた。そこで運良く当時の皇帝に拾われ、刀を扱えた軍人に引き取られ、文武を学び、決まった道を進むかのように特殊部隊長になった。この名前になったのは育ての親に引き取られた時だな。こっちの世界にあわせた名前の方が生きやすい、そんな理由でこの名前になった」
「なるほど。他にはどんなことがあったの?」
「そうだな、次はあの話をするか」
眠くなってきたためか、どうしてディールという名前となったのかという部分しか覚えていません。それなのに続きを聞こうと思ったのは、幽霊さんは物語の中の人みたいで気になったからです。
それからたくさんのおはなしを聞きました。近い歳の人たちと楽しく過ごしていたこと、でもそれが長くは続かなかったこと。やがて敵対関係となって、傷つけてしまったこと。そして──
「ここに繋がるんだ」
幽霊さんは身分証を再び取り出しました。シュッと中指と人差し指で挟んで取り出した様子は、少しかっこよかったです。
「幽霊さんが幽霊さんになったときのこと?」
「ああ。私の人生における大きな二つの悔い、その一つだ」
幽霊さんは星空を見上げながら続けました。
「あの日、私はかつての友とその仲間たちと戦った。追い詰められる戦いほど楽しいものはないな、途中までは本当に楽しかった」
「命をかけているのに?」
「そうだ。まぁ、血を求める刀の影響もあったかもしれないが……そう、刀の影響だ。私が持っていた刀は妖刀でな、古に悪霊を封じ込めた刀だと言われていたものだ。それは本当で、その刀を使う度に声が聞こえた。私の体を乗っ取ろうと常に狙っていたのだろう。奴を魔力で押さえ込んでいたが、あの戦いの途中、立場が逆転してしまった。私は奴に飲み込まれてしまった」
幽霊さんは左手を閉じたり開いたりしていました。
「どうにか体の支配権を取り戻して、私は友に殺せと命じた。もともと私はそこで終わるつもりで事前に頼んでいた。だから悔いはない、そう思っていたんだがな。我慢強いやつの今にも泣きそうな顔を見たら──わからなくなってしまった」
それから幽霊さんは「結局、アイツの心に大きな傷をつけてしまっただけなのかもしれない」と締めくくりました。
「生き残るってことは考えなかったの?」
「その選択肢があれば、もちろんそれを選んだ。しかし、それができなかった。だから、いや、せめてとアイツに頼んだんだ。もう、アイツしか残っていなかったから……」
──すごく難しい話だと思いました。心が言葉にできない気持ちでいっぱいになりました。
しばらくわたしも幽霊さんも喋らなくなって、虫の鳴き声だけが響き渡っていました。何かを言わないと朝になるまでこのままのような気がしたので、わたしは少しだけ勇気を出して「ねぇねぇ」と話しかけました。
「初めて会ったとき『何か目的があってここへ来た気がする』って言ってたよね。鏡を見つけた後になんかヒントがないかなって、幽霊さんが出てくる物語をいっぱい読んでみたの。でね、そういう幽霊って、未練ってのがあって姿を現すみたいなの。だから幽霊さんの──あれ? なんて言えばいいんだろう」
「大丈夫、言いたいことはわかった。私の未練、そうだな、私のもう一つの大きな悔いがここへ来た目的と関係しているのではないかってことだろう?」
「そうそう!」
幽霊さん、ありがとう。
「でさ、もう一つの悔いってなんなの?」
「それがまだ思い出せないんだ。すごく大切なことだったはずなのに、最も思い出せないこと。なんだか、もどかしいな」
「じゃあ、まだおはなしできないってことだね」
「そうだ。さて、時間も時間だ。今日はここまでにしよう」
幽霊さんが腕につけている時計を見せてくれました。助けていて文字が見にくかったけれども、もう少しで朝の四時になりそうなことがわかりました。
「このようなことをするのも、次で最後かもな」
「そっかぁ。最終日は送り出しちゃうから夜までいないもんね」
「そうだ。だから、その」
幽霊さんは一息置いてから言いました。
「頼んだぞ、スミレ」
その言葉にわたしはハッとしました。どこかで聞いたことがある、それも最近聞いたような気がします。そしてすぐに思いついたことを伝えようとしましたが、幽霊さんの姿はもうどこにもありませんでした。