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こども達よ、親を乗り越えていけ

一昨日は、心理占星術家nicoさん主宰の心理占星術子育て研究会。

研究会メンバーの息子さんの話を聞きながら、むかし友人から言われたことを思い出した。

「男の子のママって、息子と戦わないといけない時が来るんだって!」

当時は、まだ息子が幼かったので、ぷにぷにした我が子と「戦う」というのが、あまりピンとこなくてちょっとビックリした。

えっ、息子と戦うの?

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私のビックリした様子を見た友人は、同情するように畳みかけた。

「そうやってお母さんを打ち負かして、大人になっていくんだって。男の子のママ達が話していたよ。」

えっ、打ち負かされる?
わたし息子にやっつけられるの!!?

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思春期がくればそんなもんだろうとは思うし、自分だって散々親に生意気なことを言ってきたのだから、わからなくもない話。それでも、日々のお世話でてんやわんや、思春期のことなんて想像もしていなかったので、驚いてしまった。それに戦って負けるだなんて、なんだか痛そうじゃないか…

でも、しょうがない。その日はいつか来る。
意外と早いかもしれない、まだ大丈夫かもしれない…


なんて思っていたら、けっこうあっけなく戦いを挑まれてしまった。

まあ、しょうがない。

お釈迦さまも「”わたしには子がある。わたしには財がある”と思って愚かな者は悩む」と言っていたそうだ。子どもは私の所有物ではないので、成長を喜ぼうじゃないか。



さて、今回の研究会でも、「アセンダントを脱出してこそ、自分本来のウェルビーイングを手にすることが出来る」という話が出ていたが、私たちは、一人一人それぞれに持って生まれたものがあるのに、生まれ育った環境の中で、それをうまく発揮出来ないままにしていることがよくある。

占星術でも、アセンダントやハウスが、本来の気質や能力、変えることの出来ない運命のように勘違いされがちだが、それらは、生まれてからの環境で備わるものを示しているだけ。なので、そこから読み取れるのは、親や養育者、環境側がお膳立てした世界の中で与えられ、刷り込まれたもの。他者の価値観がベースとなって作られた振る舞いということになる。

親の価値観で創られた自分像や、環境の中で刷り込まれて身についたものというのも、自分の技術や特徴の一つと数えることも出来る。しかし、自分本来のものと乖離している場合は、どこかアンバランスで、生き辛さや違和感として感じることもある。それでも長い時間そうして生きていくと、違和感があっても変えることの方をためらうようになってしまうのだから、人間の適応能力というのはすごいものだ。

それを変えがたい運命と言うのかもしれないが、今は令和の世。一昔前とは違って、自分本来の力を使ってウェルビーイングを目指せる時代。親が期待していることや、自分発露でない身の回りからの影響を、「これが自分、これが私の運命」と思いこんで生涯を終わってしまっては、もったいないように思う。

nicoさんも「うまくいかない体験こそが器を拡げる」と、よく話しているが、毒親に育てられようと、どんなに良さそうな親の元であろうと、親が作った囲いの中で、うまくいくようにお膳立てされているだけでは、自分本来の力は育たない。自分で失敗して、自分で恥ずかしい思いをして、自分でどん底を体験してこそ、自分本来の力というのは成長していく。

子どもが親の作った囲いを脱出しようと試みる姿は、親から見ると”うまくいっていない”ように見えたり、”反抗的”に見えたり、時に、危なっかしくて、だらしなくて、「このままで大丈夫だろうか?」と将来が不安になることもある。かなりそう思う。それでも、自分の体験を自分で積むことが大事だ。


はじめて歩いた日が始めの一歩なら、親が作った囲いを出て、自分の力で踏み出し始めた時も始めの一歩。

一昨日も研究会メンバーの思春期の息子さんのお話を聞きながら、子どもが自分の力で踏み出す一歩というのは、なんとも力強くて、キラキラしているように思えた。

親と戦わず、親が作った囲いを越えられないままの大人も多い。親としてはその方が扱いやすいのかもしれないが、わが子にも、親の囲いを脱出して、自分なりの一歩を踏み出していって欲しいと願っている。

とはいえ、親から逃げても夏休みの宿題は終わらないということにも、気づいて欲しいものだ。。


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