トラッキングデータからUCL損傷を考える①(論文紹介)
私は現在、大学院博士課程でトラッキングデータとUCL(Ulnar Coraterall ligament)損傷の関連について研究しています。UCL損傷とは肘関節内側側副靭帯損傷のことで、トミージョン手術の対象となる怪我と聞くと馴染みがあるかもしれません。最近ですと大谷翔平選手などがこの怪我を経験しており、野球の投手におけるポピュラーな怪我の1つでもあります。
UCL損傷の予防については昨今様々な研究が行われています。特にその中でも、私の研究テーマであるトラッキングデータに着目した研究が近年行われるようになりました。トラッキングデータと聞くと、怪我よりも投球パフォーマンスのイメージが強いかもしれません。実際にTwitter(Xとは呼びたくない)でも、ボールの回転数や回転軸、変化量といったものから投手のパフォーマンス分析をメインに行っている方が多い印象を受けます。しかし、そうしたデータを別の角度から眺めてみるのも面白いかもしれません。
今回はbaseball savantで公開されているトラッキングデータの中でもリリースポイントの変化に着目した研究についてご紹介します。
今回抄読する論文のタイトルは
Influence of Pitching Release Location on Ulnar Collateral Ligament Reconstruction Risk Among Major League Baseball Pitchers
あくまで論文の内容について簡単に紹介するだけなので、興味を持たれた方は上記のURLから無料で本文を読むことが可能です。
以下論文紹介
Influence of Pitching Release Location on Ulnar Collateral Ligament Reconstruction Risk Among Major League Baseball Pitchers
Introduction
UCL損傷に対する手術(所謂トミージョン手術)はMLB選手の25%が経験しており、近年ではアマチュア選手でも増加傾向にあります(ちなみにMLBにおいても、UCL損傷の件数は10年前と比べると爆発的に増えてきています)。こうした現状を踏まえるとUCL損傷の予防は非常に重要であるといえます。
これまでUCL損傷の危険因子として登板間隔や球速、ストレートの割合の多さ、身長、体重、BMIといったものが報告されてきました。これらに加えてリリースポイントの水平位置(Baseball savantにおけるRPX:ホーム側から投手を見た時の横方向のリリースポイント位置)も、関連していることが報告されました。しかしこの研究では、1シーズンのデータしか見ていないため、その変化についてはわかりません。そこで本研究ではリリースポイントのシーズン間変化とUCL損傷との関連を明らかにすることを目的としました。
Method
対象は2010年~2017年にUCL損傷で手術を行った選手とし、除外基準は再受傷、シーズンの投球数が100球未満としています。これらの条件を満たす71名(UCL群)と、対応する70名のUCL損傷未経験の選手(control群)が抽出されました。control群は年齢と球数のみ一致させており、身長、体重、球速の統一はしていません。また登板試合数の50%を基準に先発と中継ぎを分類しています。
対象の球種は4seam、2seam、スライダー、チェンジアップ、カーブとし、平均球速と平均リリースポイント位置(垂直方向と水平方向)を加重平均で調整しています。リリースポイントなどのデータはデータサイトからダウンロードし、手術日から3年前までの範囲を対象としています。3年間分のデータを、手術日から365日前までをYearⅠ、366日前から730日前までをYearⅡ、731日前から1095日前までをYearⅢとして、YearⅠからYearⅢまでの変化を比較しました。
統計解析については、それぞれの群での球速とリリースポイントのシーズン間変化を一元配置分散分析で比較し、有意差があった場合のみ群間で多重比較(Bonferoni)を行いました。そのうえでUCL群とcontrol群を対応のないt検定とカイ二乗検定で比較しています。またUCL群とcontrol群間で身長などの基本情報も比較しています。球速とリリースポイントの変化については二元配置分散分析を用いていないため、交互作用は検出できていません。おそらくシーズンが3群となると交互作用の検討が難しくなるため、3群での一元配置分散分析を用いたのだと思います。
さらに、身長、体重、年齢、球速、ストレート割合、リリースポイントの平均値、リリースポイントの変化量、球速変化、を独立変数として、ロジスティック回帰分析を実施し、危険因子の抽出も行いました。
Results
まず基本情報については、いずれの項目でも有意な差は認められませんでした。しかしUCL群のカーブの割合のみで有意に高い結果となりました。
次に球速についてはcontrol群においてのみ、有意に低下していました。
リリースポイントについては、UCL群の水平位置がYearⅡとYearⅢで有意に外側にあり、また垂直位置がYearⅢで有意に下方にありました。(YearⅡでは8.1㎝外側、YearⅢでは12.2㎝外側かつ3.4㎝下方)
最後にロジスティック回帰分析では、リリースポイントの水平位置が危険因子として算出され、10㎝外側方向へ変化することにより4.9%リスクが増大する結果となりました。
Disucussion
今回最も着目する結果はリリースポイントの水平位置がUCL損傷の危険因子ということです。サイドスローが肘関節の外反ストレスを増大させると報告している研究もあることから、リリースポイントが外側方向へ変化することでアームスロットが変化し、外反ストレスが増大しているのかもしれません。しかし水平位置の平均値に有意差があっただけで、変化量には有意差がなかったことに留意しなければいけません。
次に球速ですが、これは先行研究と異なりUCL群で有意な変化は見られませんでした。先行研究ではcontrol群をUCL群と対応させずに抽出しており、今回の対象者よりも若い傾向があります。このあたりの影響があったのかもしれません。
最後に群間差のあったカーブですが、カーブについては現在も一定の見解が得られておらず、危険因子だという研究もあれば、関連がないとする研究もあります。変化球としての定義の難しさもあり、今後さらなる研究を俟つ必要がありそうです。
Limtation
今回の研究ではリリースポイントのみの抽出であり、関節角度等のキネティクス、キネマティクスの変数は調査されていません。リリースポイントとこれらの変数との関連を明らかにしていく必要があるかなと思います。
Conclusion
リリースポイントが外側方向へあるとUCL損傷のリスクが高まる
個人的な疑問点
シーズンの分類方法について
手術日を基準に365日で分類するということは、オフシーズンを跨ぐことになります。今回は1年間の平均値でデータを要約しているので、オフシーズン前後で数値が大きく変動していた可能性が否めません。この要素を排除するためには、もう少し細かい期間での変動も検討したほうが良いかもしれんせん。
結果の検討について
リリースポイントの水平位置に差がありましたが、あくまで群間に差があっただけで、シーズン間では有意な変化が認められていません。またcontrol群の抽出に関しても、年齢と球数以外は一致させていません。さらに群間の比較には対応のない検定を用いており、control群として一人ずつ割り付けたわけではない可能性があります。こうしたことを踏まえると、リリースポイントの水平位置が内側にある選手がたまたまcontrol群として選ばれてしまったという可能性を考慮しなければならないと考えています。
以上が今回の論文紹介となりますが、論文は自分でしっかりと読み、他人の解釈を鵜呑みにしないことが重要です。時間と余裕があれば原文をしっかりと読み込むことをお勧めします。
今後また時間を見つけて関連のある研究を紹介できればと思います。