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思い出はクラウドにあって、巨大システムが不意に取り出して見せてくれる。
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6年前の写真。
楽しげでしょう?
みんな明るく集まって飲んだり食べたりしながら、話してるんです。
でも、これ、2011年の陸前高田です。
震災から2ヶ月ちょい経ったところ。
まだまだ水も電気も不足してる頃です。
津波浸水域から外れた高台の住民の皆さんが手作りした共同のお風呂の前の、これまた手作りのカフェの写真。
避難生活を送る皆さんの交流の場。
だから、本質的なところでは、決して楽しくないんですが、なんというか「たくましいな」とか「場」を作ることって大事なんだなとか、色々考えさせられました。
この頃、私は東日本大震災の影響で仕事がヒマになったこともあり、ボランティアとして被災地を回っておりました。
主に某研究機関の岩手の北の方から、宮城県の福島県境まであらゆる町々を巡り、震災の記憶と記録を取る作業に従事しました。
いまだに、この頃のこと、震災の話は、いろんな人の話を聞きすぎたが故に消化出来ていないような、整理仕切れてないような複雑な思いがありつつ、なんとなく自分も一緒に被災したような感じもあって、なるべく思い出さないように蓋をしたまま、記憶からも薄れつつあります。
この写真はFacebookのシステムによって「○年前の今日」として出て来ました。他の写真共有サイトにも同じような機能があるでしょう?
撹拌されるように記憶の断片が出てきて、そこにつられて、その時の思いまで蘇ってくるのは、すごく素敵なことなのかもしれないって思ったり。
人間の記憶の一部もクラウドにある時代なんだなぁ、今って。
クラウドにある自分の思い出を巨大なシステムが不意に取り出して見せてくれる時代になったわけです。
すごい「未来」が来てると思いませんか?