24時間テレビはどうあるべきか?
こんにちはわじゅおーです。
今年も24時間テレビが行われましたね。
終始ネタが尽きない
良くも悪くも話題になったものでしたね。
さて、24時間テレビについて
私なりの見方で話したいと思います。
24時間テレビの発想について
まず、24時間生放送して、募金を受け付けて寄付する。なんて良い大義名分なのでしょう。まあ実際発想は素晴らしいです。
しっかりと実現できているのならば、
存在意義が大いにあるはずです。
「チャリティーらしさ」がない
ではどの部分が批判されるのでしょうか?
それは「チャリティーらしさがない」
ということだと思います。
そもそもチャリティーとはなんだ?といいますと、
では、24時間テレビは「チャリティー的だ」と思われているでしょうか?
わたしはそうでないと考えます。
24時間テレビがチャリティー的ではない訳
「チャリティー的だ」と思われていない理由はどこにあるのでしょうか?
その理由を探るためにもう一度「チャリティー」の意味をみてみてください。
「慈善の心」
これが今の24時間テレビに抜けていることだと思います。
24時間テレビは過去に障がい者にパーフェクトヒューマンを踊らせたり、無理矢理富士山を登山されたように思われたりと炎上してきました。
そして募金の着服のニュースです。
こんな番組に慈善の心を見いだすことができるでしょうか?
少なくとも私には「チャリティー」という皮を被った「金儲け」にしか映りません。
スポンサー料やギャラを払うな、そんな意見は視聴者に24時間テレビを「チャリティー」と思わせろというメッセージの表れだと思います。
24時間テレビはどうあるべきか?
では今後24時間テレビはどうあるべきでしょうか?
私は24時間テレビはやめて欲しいとは思っていません。
むしろ、続けることで救われる人もいるかもしれません。
変えて欲しいのは中身です。
今のような見せかけの「チャリティーもどき」ではなく、「チャリティー」とならなければいけません。
ポテンシャルはあるのですから、もっと日本テレビには「愛」が地球を救うのではなく、自分たちこそが地球を救う、
そんな信念をもってもらいたいものです。
見ていただき、ありがとうございました。
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