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流産の悲しみ ひとりで抱えないで



最初の流産のとき。
私は、ただ悲しみをやり過ごしました。おかげで、悲しみをずっとずっと引きずることになりました。

振り返ると本当に必要なのは、やり過ごすことではなくてしっかり悲しむことだったのです。

以下、心理学的・医学的な情報や自分の経験を元に、詳しく説明していきます。
もし流産について自分を責めてしまう気持ちのある方は、是非読んでいってください。




大切なのは「受け入れること、悲しむこと」

厚生労働省の
「産科医療機関スタッフのための 流産・死産・人工妊娠中絶を 経験した女性等への 支援の手引き」
によると、

悲嘆に適応するプロセスには4つの課題があるそうです。(「悲哀の 4 つの課題」J・W・ウォーデン)

1.喪失の現実を受け入れること
2.悲嘆の痛みを消化していくこと
3.故人のいない世界に適応すること
4.新たな人生を歩み始める途上において、個人と永続的な繋がりを持つこと

産科医療機関スタッフのための 流産・死産・人工妊娠中絶を 経験した女性等への 支援の手引き


内容が難しくてなんぞやって感じですが、
特に大切なのは
「受け入れること」
「きちんと悲しむこと」

の過程を省略しないことみたいです。


流産の事実を1人で抱え込みやすい現状

以下の引用にもある通り、流産の場合は特に悲しみを分かち合える人が少ない状況であることが多いと思います。

流産や死産は「社会に認められにくい喪失」といわれます。特に、初期であるほどその命の存在(妊娠・出産の事実)を知っている人も少なく、また、家族も胎児を失ったことを人に話すことに躊躇を感じます。悲しみを人と分かち合えない、または、理解してもらえないということは、大変苦しいことです。

産科医療機関スタッフのための 流産・死産・人工妊娠中絶を 経験した女性等への 支援の手引き


流産と呼ばれる週数では、まだデリケートな時期だから周囲に報告しない、という社会的風潮も相まって、悪阻が始まっていたり流産に関する受診や手術があったりしても、他の理由と偽ってやり過ごす人が多いと思います。


ここで私の経験について少し挟みます。

1回目の流産の時、手術の日程が取れず、自然排出を待つことになりました。常に急な大量出血の可能性があり、勤務に支障が出るかもしれなかったため、勤め先の院長に報告しました。

院長は「その時は急に発熱して帰ったと説明するので心配しないでください」とのこと。

女性ばかりの小さな職場ですし、ましてや周りは看護師ですから、個人的にはスタッフにも理由まで報告するつもりでいました。しかし院長直々にそう言われては勝手な行動ができません。

結局自宅で自然排出しましたが、翌日はパート先に出勤しました。大量出血とそれ相応の痛みがありますから、平気な顔して仕事をするのは辛かったです。

近しいスタッフ数人には内々に打ち明けていたので、ささやかな気遣いはして貰えたのが幸いでした。

このケースのように、せっかく打ち明けても聞き流されるなど、当事者でなければ尚更、流産というワードには受け入れ難い一面があるようです。結局は当事者が1人で抱え込みやすい現状となっています。


安易な励ましからは距離をおくべき

同手引き内には、こうも書かれています。

人は悲しむ人を前にすると、何とか援助しようと「がんばって」、「しっかりしなさい」、「若いのだから、また次が...」など“励ましの言葉”をかけたくなりますが、そのような家族や家族を励まそうと思って発した言葉が、逆に傷つけてしまうこ とがあります

産科医療機関スタッフのための 流産・死産・人工妊娠中絶を 経験した女性等への 支援の手引き


自分もそうでしたし、周りで流産を経験した人やネット上の経験談を見てもそういう人が多いですが、「よくあることだから」「次頑張ろう」などと片付けられることが多いです。

特に医師は、良かれと思って「この時期は4人に1人が流産する可能性があるから」と説明してくれることがあります。

繰り返しこのような言葉にさらされると、

・こんなことで悲しんでいる自分が弱いのではないか
・もっと大変な人もいるのに私なんかが悲しんでいいのだろうか
・これくらいで仕事を休む訳にはいかないんじゃないか

自分を責めるような思考になってしまう可能性があります。

この時期、流産した本人にとって必要なのは、下手なアドバイスではなくただ話を聞いて、寄り添って貰うことです。

しっかり悲しみ、しっかり休む時間が、その後の心身の回復につながります。

よく、葬式の時に親族が忙しいのは、悲しむ暇を与えないためと言われます。たしかにその考えも一理あるかもしれませんが、流産の場合は一緒に悲しむ人が少なかったり、葬式のようなお別れのイベントがありません。

そのまま日常に戻ると、定期的に「あのときああしていれば」などと感情がぶり返し、後悔や悲しみが強く残ってしまいます。

良かれと思って安易な励ましをしてくれる人は一定数います。この時期、そんな言葉は聞き流し、必要ならしばらく距離を置くようにしましょう。


悲しみを乗り越えるプロセス

悲しみを乗り越えるプロセスとして、有名なものに「キューブラ・ロスの5段階」というものがあります。

具体的には、否認→怒り→取り引き→抑うつ→受容という5つの感情が順番に、あるいは行き来しながら現れるそうです。

簡単に例を説明すると、

否認「何かの間違いでは?」
怒り「なんで私が…。」
取引「神様、〇〇するので赤ちゃんを返してください」
抑うつ「そっかダメなんだ、何もかもつらい」
受容「悲しみと共に生きていこう」

※解釈は諸説あります

必要なのは、このような感情が出るのは当たり前のことで、自分を責めなくてもいいということです。自分も周りの人も、「世界的に知られている当たり前の過程なんだ」と理解することで、少し楽になれるのではないかと思います。


体験談:水子供養

私は典型的に「平気なフリしてやり過ごす」という過程を踏んでしまったことで、いつまでも流産に向き合えずにいました。

そうしているうちに、約1年後に2回目の流産。この時は不妊治療自体を職場に公表していたのと、流産を繰り返すことを懸念して、早くから妊娠報告をして業務の調整をしてもらっていました。なので、流産も直ぐに報告することとなりました。

今回は、沢山の人から「大変だったね」「無理しないでね」「もっと気遣えなくてごめんね」と優しい言葉を頂きました。ここでやっと、ああ、悲しんでいいんだなと思えました。

しばらくして、流産の悲しみに区切りをつけるため、水子供養に行くことにしました。

地域で有名な水子さんのお寺に連絡し、必要な準備を確認し、近くのお花屋さんで可愛らしいお花を作ってもらって(店主さんも水子供養の経験があるそうで色々と教えてくれました)、お寺に向かいました。

お経を唱えてもらっている間、立ち上る線香の煙を感じながら、お腹の中で亡くなった2人が脳裏に浮かびました。2人が膝元に来てお別れをしてくれている気がして、涙が止まらなくなりました。

ああ、ずっとこの2人から目を背けてしまってたんだな。向き合えたからこそ、お別れが出来るんだな。その時間は時が止まったような、大自然に吸い込まれるような、はたまた小さな御堂に閉じ込められたような、不思議な感覚でした。


その後の心境

狭いアパートの一室。お寺さんで言われたとおり、部屋の片隅には水子の仏壇スペースを用意しました。戒名の御札も二人分頂いたので立てかけて、周りには可愛いぬいぐるみやお菓子、線香や小さなお鈴も置きました。

そこまでやらなくても、と思う方は多いと思います。流産を繰り返して尚、不妊治療を続ける私にはこれくらいしてちょうど良かったようです。

3回目の流産はバニシングツインなので、片割れが今もお腹で育っています。悪阻やマイナートラブルで水子供養に伺う余裕もなく、今のところは先の2人と一緒に居てくれてると信じて同じ仏壇に手を合わせています。

なにかの動画で「亡くなった上の子の生まれ変わりだと言われるのは嫌だった」と言っている方を拝見したことがあります。なので、今お腹にいる子は4人目の子供として大切に育てています。

こうして亡くなった3人を話題に出来るのも、向き合って悲しみを受け入れられたからだと思います。


さいごに

流産って世間一般的に目を逸らされやすいですが、やはり当事者としては大きな出来事です。

感情に蓋をせず、身近で理解してくれる人や、面識がなくても同じ流産経験者や専門家に相談したりして、時間がかかっても無理せずしっかり悲しんでください。(私も飛んでいってお話を聞いてあげたいです。)

是非、私のように「ただやりすごして悲しみを引き伸ばす」のではなく、しっかり悲しんで向き合って、共に生きれる記憶に変えてください。


さいごまで読んでくださり、ありがとうございました。

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