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学びの種 #015「映画で学ぶ」

映画ができるにはワケがある。
映画の背景には大きな世界が広がっている。

 映画を単なる娯楽として観る人が多いと思いますが、作品の背景にある社会的状況や作品が生まれた事情について、深く考える人はそれほど多くないでしょう。一本の映画が生まれた背景には、監督、脚本家や俳優をはじめ、映画を方向づけた人々の生い立ちや生き様、映画が製作された当時の社会の雰囲気、さらには社会を取り巻く世界情勢など、様々な要素があります
 しかし、多くの映画評論家は、俳優の演技、撮影技法や演出などについて語るものの、その映画の社会的背景とそこから生まれる表現については、あまり深く語ってくれません。もちろん、映画の社会的背景について知りたければ自分で調べればよいだけですが、考える手立てや勘所のようなものがわからないと、なかなか知りたい事柄に行きつけない場合があります。
 そこでご紹介したのが、映画評論家の町山智浩さんの映画解説です。「町山智浩の映画塾」は、名画を観るまえの「予習編」と観たあとの「復習編」にわかれていて、みどころがわかるとともに、「あっ、そうだったのか」という気づきにつながります。

 町山さんの映画解説のよいところは、映画が製作された動機や社会的背景まで詳しく説明してくれているところです。その説明は、そのまま映画について考える手立てや勘所を知ることにつながります。一度映画の観方がわかれば、様々な映画の背景についても気になりはじめます。
 好奇心をもって映画の社会的背景について調べはじめると、「あの映画とこの映画は、こうつながっていたのか」「この映画の背景には、こういう歴史的出来事があったのか」などと気づくようになります。また、「この表現はどこかでみたことがあるなあ」と気づくこともよくあります。これは、特定の監督や作品に対する「オマージュ」であったり、単純に「パクリ」である場合もありますが、なんらかのつながりに気づくことで、映画に対する理解が深まります。
 世の中のものごとには、かならず先例があります。Google Scholarのトップページには、「巨人の肩の上に立つ」(Stand on the shoulders of giants)という標語があります。これは、学問の成果と発展は偉大な先人の業績の蓄積の上に成り立っているという意味で、アイザック・ニュートンがロバート・フックに宛てた書簡のなかに登場します。ただし、もともとの言葉は、12世紀の哲学者シャルトルのベルナルドゥスのものといわれています。
 映画の場合も、「オマージュ」であれ「パクリ」であれ、先人の業績のうえに現在の表現方法があるといえます。映画の背景にある事柄を、縦・横・斜めに点と点を結んでいけば線になり、線と線が面をつくるようになると、ひとつの社会やそれを取り巻く世界全体についても立体的に学べるようになります。
 最後に、欧米の映画を観る際に必要となる知識についてふれておきます。それは、キリスト教とユダヤ教、『旧約聖書』と『新約聖書』に関する知識です。映画の一場面が聖書の名場面をモチーフにしていたり、登場人物の名前が聖書の登場人物に由来することがよくあります。このようなことを知らなくても映画は楽しめますが、知っていたほうがさらに理解が深まります。また、最近では欧米の映画だけではなく、キリスト教信者が多い韓国の映画でも、聖書の知識がないと理解できないものもあります。

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