主観と客観をまぜまぜしてみる
BeingはBeingなので主観・客観とはレイヤーが違う
Beingの話をしてるとDoingと対比して理解しようとするケースにしばしば出会します。
哲学的なアプローチを試みて主体・主観と客体・客観などを持ち出して理解に努めようとする訳ですけれども、それらはDoingの仕組みを理解しようとする行為であってBeing的な空(くう)と色(しき)とは別のお話なのですよね。
瞑想をする時に「自分を観察する」と言われる事がありますが「観察する」となるとすごく客観的に自分を捉えようとしてしまいがちです。
例えば「他人から自分がどう見られているか?」とか「自分のYouTubeチャンネルはどんな人が見に来ているのか?」などを考え・調べる時はとても客観的になるべきですし、アナリティクスはその為にあるツールであることは間違いありません。
…なのですけれども。
それはどこまで行ってもDoingの仕組みなのでBeingを感じる事とはレイヤーが違うのです。
それは↑のさんかくマインドで言うところの二元論的なテーマの範疇と言う事になるのでこの主観的・客観的でBeingを考え始めると迷路に迷い込んでしまうのです。
インナーオーガズムを求めても得られない男性と言うのはモロのこの迷路に迷い込んでいるケースが殆どです。
ある意味真面目なのかもしれませんけれども、別の言い方をすると「怖がり」なんですよねw
今まで構築してきた価値観を一瞬でも手放す事が恐怖なのだと思います。
主観と客観をまぜまぜすると…
「手放す事」が怖くて出来ないのならば、手放さずにBeingを感じてみようではありませんか!…と言う事で、今日のテーマ「主観と客観をまぜまぜ」してみましょう♪
やり方はシンプルです、でもやたら面倒臭いですwww
主観でも客観でも良いのでどちらか一方を徹底的に突き詰めてみてください。
(゚Д゚)ハァ?何それ?
…と言う声が聞こえてきた気がするので例を挙げますね。
例えば、あなたが誰かから「あなたは客観性が足りない」と言われたとします。
さて、あなたの客観性を指摘してしてきた〝誰かさん〟って果たして客観的な人物なのでしょうか?
実際にあなたに客観性が乏しい事実があったとしても、その誰かさんは主観的にあなたに意見をしてきたかも知れませんね。
そうすると単に誰かさんの主観による指摘から推察するに実際に客観性が乏しいとされるあなたの事実がひょっとすると言いがかりなのかも知れません。
………ん〜、面倒臭いwww
つまり、どの様な前提でもどの様な推察でも構いませんけれど、主観を突き詰めていくと客観と大差ない感じになったりするんじゃないかな〜…と思われます。
なんでこんな乱暴に結論付けちゃうのかと言うと、二元論って結局そう言うところに行き着いてしまうからです。
突き詰めれば突き詰めるほど太極図的になっちゃう訳です。
陰極まると陽になり、陽極まると陰になるぅ…
主観と客観をまぜまぜすると太極図になる感じ、これから何を感じとれと?…って事なのですけれど、ものすごく一所懸命に思考し続けると、何か「感じる」レベルの事ってありませんか?
え?無い?
ん〜、そしたらもうちょっと思考してみましょうかw
ポイントは脳味噌が疲れてくるとか痒くなってきたらイイ感じかもですね♪
経験をする為にこの世に生を受けたのならば…
「経験」って概ね「上手くいかない事」を経験してるのだと思います。
いや、成功の構成要素がほぼ全部上手くいかない事で出来てると言う感じですかね?
兎にも角にもBeingの構成要素としてのDoingを体験しにきてるイメージがするのです。
なので、たぶんなのですけれども…
Doing的になんだかうまいこと進まない時にジタバタしてるとなんか急に閃く時とかありますよね?
その閃く時って疲れてたり、むしろ寝てる時だったり、、、
とにかくなんだかわからないけど本質掴んじゃった感じのアレです。
あの感覚がBeingに触れてる時だと思うのですよね。
めちゃくちゃニュートラルになってるんでしょうね、確実にw
だから、徹底的にDoingを突き詰める…と言うのもBeingを感じる為の一つの手段としてアリなんじゃないかな〜…と思います。
客観的思考が止められないのであれば、脳がコンフリクトするまで(=つまりまぜまぜw)徹底的に思考するのです!ヾ(o・`ω・)ノ キリッ.:゚+
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