私が脳梗塞になった日〜part 1〜
忘備録として書き留めておこうと思うので
今回は臨死体験とか、全く無かったけど、体が神様(創造主)からの預かりものと気が着くまでの過程を書いておきたいです。
5/30日の朝、目覚めると手足が動かない事に気がつき、ただ事ではない状況に気づき、ここ数日体調を崩していた私に気をつかったパートナーからのLINEで救急車をすぐ呼ぶように言われて、すぐ救急車を呼んだ。話してる内に話し方が変になってる事に気づいてきた。はって、なんとか物を使って玄関のカギだけ開けて、スマホでSOSをかけようと思うが、なかなかスマホの所まで辿りつけない。救急車が到着した。私がスマホとお財布を持つのがやっとの間に来てくれて、早い〜と感激。
朝だったので近所の登校中の小学生が「大丈夫ですか?」と、声をかけてくれたけど、返す余裕もなくなり「ダメ〜」なんて返したのが、外での最後。
救急車に乗せて貰い、大変な事になってる予感。
実家の母から前日LINEをもらっていたが、すでに返すパワーが無かった事を悪く思いながら、電話を救急隊の方にかけて貰い、母の動揺を感じながら、どうやら近くに住む、叔母が駆け付けてくれるらしいと知る。叔母は、元看護師で小さい頃入院した時も祖父母のお葬式で両親が留守の時、看護してくれて、私が茅ヶ崎に住むようになり、ランチをしたり、セリを摘みに行ったりと親しくさせて貰ってたので心強く感じた。
当初はすぐに治るだろうと余裕の心境だった。子供の頃から体が弱く、高校時代にはアトピーに悩んだ事もあり、自称、健康オタクだったし、ストレスもそんなには無かった。
好きな仕事をマイペースでやり、人間関係で悩む事もなければ仕事で悩む事も無い。むしろ物事がうまく運び新たな夢に向けて、動きはじめたところだった。
病院につき、どうやら緊急手術が行なわれるみたいだ。まさか自分が手術を受けるとは、不安にやっとなってきた。それまでは、パニックで良くわからなかった。
どうやらカテーテルで頭の血管を何かするらしい、オペがはじまる前に、尿道にクダを通すのだが、看護師さんが「見えない〜」と、手探りで通してくれるのが痛くて不安で、怖い〜と呟いたら。
「ここにいる人は、みんな、あなたを助けようとしてるから大丈夫よ」と、その言葉が強く優しく響き、また落ち着きを取戻すというか、まな板の上のコイ状態、抵抗をやめて、お任せ状態にやっとなれた。
手術台に乗り、動かないでね、と言われ、脚からクダを通してカテーテル手術、頭を切らなくて済むのがすごい。今の医学すごいなぁなんて感心しながら、「ちょっと嫌な感じするけど我慢してね」と、先生に言われ、頭の後頭部に違和感を感じ叫ぶ。どうやら2箇所のようで、30分位このまま機械が届くまで待つらしい。体を動かしたくてたまらない。自分の呼吸に意識を合わせて瞑想して気をそらそうとする。
やがて機械?が届き二箇所目。後頭部に差し掛かりまた叫ぶ。だが途中からその叫び声が変わり、明らかに呼吸にも違和感が。「余計に酷くなったな」先生の呟きが不安をあおる。まっこれで終わればいいや。位にしか思わなかった私。私はその時点で声を失い。呼吸もわずかしか出来ず。体を動かす事を失ったのだ。ここで意識が無くなり、次に意識を取り戻したのはICUのベッドの上だった。
呼吸が浅くて辛い。体が思うように動かない。頭を下げた状態だと窒息しそう。辛くて苦しい。まるでナマリの中に閉じこめられたみたいだ。 吸引と呼ばれる、痰や唾を吸ってもらわないと苦しくて窒息しそうだ。それが痛くて痛くて。鼻から管を入れるのだけど、めっちゃ痛い。どうしようか考える。辛いし、この先ずっと寝たきりかぁ。死んだ方がましだな。けど、せっかく今助かったという事は生きるべきなんだろうな。なんて思いながら意識を失う。
苦しくて目が覚めるとまた吸引。痛くて苦しい。頭の中では、話してるつもりだけど声にならない。それが続き、やがてICUを出れた。
けど症状は変わらず痛い吸引と呼吸が出来ない辛さは続く。頭をあげて欲しくも言葉が通じない。色々お世話して貰っても感謝を伝えられない。どうしよう。
やがてパートナーのHさんと母がお見舞いに来てくれた。触れたくても触れる事が出来ない。顔を向ける事も出来ず、移動して貰い話しかけて貰う。
感謝の言葉も伝えられない。
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