転院して良く泣いた 〜part4〜

今回は臨死体験はしていません。忘備録として書き留めたいのと、貴重な体験をしたので誰かに届けば嬉しいです。


転院してきたC病院は、色々と決まりが厳しく、今までのようには行かない。面会も親族のみで一回15分で週2回。初日は父にも兄にも会えず不安なまま夜を向かえる。ただ疲れたのかグッスリ眠れた。

翌日からリハビリがはじまり目も焦点が合うようにはなってきたが、未だ寝たきり状態で右手はビクともしない。先ずは座る練習から、これがふらふらして、座るのもままならない。どうやら私は、脳梗塞の中でも後頭部の僑梗塞みたいで、言語やバランス、芸術を司る所が詰まったようだ。

詳しく説明してくれたし、記憶もあるし、今の状態も判断出来るとわかってもらえた。言葉は、挨拶とありがとうはわかってもらえた。
こちらの看護師さんは忙しくも心にゆとりを持っていて優しい。それに痛くないのに驚いた。採血もあっという間だし、鼻の管をぬく時には、全く痛くなくて驚いた。あとあと仲良くなった患者さんに言ったら。そうだと思うよ。ここの看護師さんはみんな腕がいいと思うと。

相変わらず、食べられない、飲めない私は梅雨なのに唇ガサガサ。入院してから20日で5キロ痩せた。やつれた。という感じ。

転院して翌日、やっと父に会えた。面会に来てくれて涙を流してた。変わり果てた私の姿にショックだっただろうなぁ。次の日は兄が面会に来てくれた。お互い号泣の再会だった。

時間があくと茅ヶ崎の病院に来てくれた友人達の色紙の言葉もやっと読めるようになり、思い出すとヒーリングを受けてるみたいに心地よい。物質はあっという間になくなる。大変だっただろうが…。肉体もあっという間に動けなくなる。でも人の思い、宇宙の愛は感じるのは自由だし、変わらない。

この頃から薄々自分でも気づきはじめたが、感情のコントロールが効かない。私の場合は笑うと泣く。
名前を聞いても笑う。笑ってる時はいいが、泣き出すと困る。

すべてを失ったと思った私は良く泣いた。毎晩のように泣き、みんなの前でも声をあげ泣く事もあった。大好きなフラのdvdを見て、もう踊れないかも、と思い号泣する。しかも止まらない。泣いた泣いた。やっと感情が出て来たと思ったら今度はコントロール出来ない。後でリハビリの先生に病気の症状のひとつだと…。今は泣かないけど良く笑うし笑い出したら止まらない。ちょっと困る。

友達や大好きな人と連絡取れない不安さや寂しさ。
もう、風を浴びて歩く事が出来ないかもという不安。
自分なりに大切にあつかってた身体の機能を失った切なさ。思い出。全てが悲しくて良く泣いた。


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